2005-01-01から1年間の記事一覧

2003年7月、私は神戸市で行われたあるお話会に出席した。カフェに集まった方々に私の体験を話している時、私は二人の子供の純真さ、ひたむきさに感動した。話の途中で、8歳の女の子が何か私に聞きたげな様子で手を挙げた。しかし、傍にいた母親が「だめよ」…

何か暖かいものがやってきた・・・「貴士」・・・父親のはっきりときれいな声。小学二年生の時、母親に嘘を言って父親に叱られた後、優しい、強い腕でこの私を抱きしめてくれたあの父親の姿が甦ってきた。 「貴士、よくやってくれた。よかった、よかった。貴…

私はステージに上がり、演壇の後ろに立つと、攻撃的で火のような復讐への憎しみに満ちた私のスピーチを待っている、期待に胸膨らませた聴衆の顔を長い間見渡していた。しかし、甦ってきた夢のおかげで、私の敵はアメリカ人でも冷たかった日本の社会でもない…

娘の言った言葉に、この父親の心と魂は大きく動かされた。私はハンドルに顔を伏せて泣き崩れた。そして私の心の奥深くに改めてメアリー・ファーが与えてくれた「無条件の愛」のイメージが浮かんできた。彼女が母のよう愛で私を受け入れてくれたことは、どの…

その時私はある声を聞いた。 「父の罪は子に引き継がれ、さらに3代、4代までも続くだろう。」 何の罪もない純真な私の子供や孫に裁きが下される原因となる無責任な行動を、父親としてどうして取ることができるだろう。私が“復讐”という矛盾した行動を犯し…

あの一瞬で、広島は地獄と化してしまった。人の肉が焼ける臭い、手、足、顔から爛れ落ちる皮膚、血まみれのへどを吐きながら逃げ惑う何千人もの人々、頭のない赤ん坊を背負ったまま気が狂った母親、天国へ行く間際の子供たちの叫び声、炎に包まれた父や母を…

8時30分、車にエンジンをかけ、サンフランシスコに向かった。講演が始まるのは11時。私の頭の中は講演のことに集中していたが、心の中は様々な考えで混乱して戸惑っていた。よく知っている高速道路だったが、どこをどう運転してきたか全く覚えがない。気がつ…

1985年8月5日、サンフランシスコのセントメアリー大聖堂で開催される「広島原爆40周年記念祭」での重要な講演者の1人として、私は復讐に燃える“仕返し”のスピーチをするために会場に向かっていた。白人の教会から追放されるという事件以来、私は“反戦のタネ…

どんな風に死ぬのか・・・ここまで追い詰められたのは初めてのことだった。まだ40歳半ばだというのに・・・。 「心臓発作で早死にするために、あの原爆から生き残ってここまで生きてきたのか?」 その夜、1945年9月3日に亡くなった父のことを思い出していた…

私は妻に内緒で幾度となく主治医のもとを訪れていた。心の重荷を下ろしたことに、彼は少しも驚く気配はなかった。今まで以上に精密な検査を受け、何か危険な橋を渡るかのような不安を感じた。その夜、少しでも体を休めるために眠らなければならないという衝…

姉たちを見送った帰り道、気を紛らわすために口笛を吹き、心に明かりを灯した。家に着き、玄関扉の向こうで私を待ってくれている妻と子供達がいることがこんなにも素晴らしいとは! 「パパ、おばさんたちは帰ったの?」 3人の子供達が一斉に声を上げた。姉…

その4日後、私達は州都であるサクラメントへの道を急いだ。しかし、その途中にあったお目当ての店はすでになくなっていた。姉は期待したものに出会えなかったことで、苛立ちが募っていた。私が買った土産物では、弟がアメリカで社会的に良い地位についてい…

その夜は、過去2年間の空白の時間を埋めるものとなった。姉は2周年記念の思い出の夜に、ジョイスが着られるようにと美しい着物を持ってきていた。既に姉との間に入った亀裂を埋めることは出来なかったが、その着物にジョイスは多少惹かれてもいて、自分の…

その災難は、サンフランシスコ空港へ迎えに行くのが遅れた瞬間から始まっていた。ベイブリッジが玉突き事故で通行止めだったのだ。これはどうすることも出来なかった。随分遅れて、車は空港へ到着した。ずっと待っていた姉の口が鬼のように開いた。 「こんな…

牧師の職から追い出されてもなお、アメリカ人の心に触れたいという思いは変わらなかった。アメリカのことわざに、“人の心を動かす一番の早道はお腹を満足させることである”とある。そうだ、彼らのお腹を満足させればいいのだ! 1979年10月10日、夢と希望と大…

姉は21年以上も前に日本を去り、胤森家の名誉や尊敬を否定し、裏切った弟が、突然紅葉村へ帰ってくるということが信じられないようだった。彼女には、喜んで両手を広げて私を迎えることはできなかった。私は正月休みに姉を訪ねることを知らせたが、姉の激し…

ある晩、子供達がみんな寝静まった後、遠くで聞こえる犬の遠吠えがかすかに静けさを破った。重く滞った空気が居間を満たしていた。突然、妻が私の真正面に立ちはだかった。 「あなたの望んでいるものは何なの?」まるで死にかけている人に聞くように私に尋ね…

かつて誇り高きキリスト教の牧師で、命と魂を白人に仕えることに捧げた者が、今では仕事を下さいとアメリカ人に懇願しているのだ。どんな仕事でもかまわない。そうすれば3人の子供達を食べさせることができるかもしれない。私は一足の靴を底に穴が開くほど履…

キリスト教徒たちの中では言うまでもなく、牧師たちの中にまでこのような偏見や差別といった耐え難いことが存在するのはどうしてなのだろうか。 「アメリカで牧師をするのが天職だと信じるのをいつになったらやめるの。いったいどんな恩恵を私達が得たという…

「結局、君は私の悩みの種だったのだ。君のつたない日本語の説教を聞くと、ここがあたかも二流の教会のような気分になったものだよ。事実、長老や信徒たちの多くは、日本人牧師である君を教会の指導者として認められないと言っていた。私は教会員の要求を考…

あっという間に春がやってきた。スワンソン博士の大きな夢は、1度に800人の聴衆を集めることだった。ある日曜の礼拝に大きな期待がかかっていた。750、785、799、800、そして801、802、803とまだカウントは続いた。歓声が沸き起こり、教会の屋根に響き渡った…

信じられないことに、私の住んでいた地域は刑務所よりも自由の少ない場所だった。住人は、私の書斎の消灯時刻や起床時刻まで知っているようだった。街中を歩く時は、目隠しをされたロバのように、注意深く歩く必要があった。万が一見てはいけないものを見て…

2月も2週目に入ったある日、電話口から聞こえる奇妙な南部訛りの男の声で起こされた。 「もしもし・・・」 ランス・スコット牧師と名乗るその男は、マークの妻の両親が所属するランドマーク・バプテスト教会の主任担当牧師だという。私は警戒心を解いた。 「…

私は彼に様々ないくつかの教会の関係者の名前を教えて家へ送っていった。彼らは私の友人であり、マークが彼らと連絡を取れるように取り計らったのだ。月曜日の朝に会う約束をし、私はその後、ガソリンがすっかりなくなるまであてもなくドライブした。私が家…

1ヶ月が過ぎ、私はマークが会いに来るのではないかと期待していた。彼とは和解する必要があると感じていたのだ。月曜日の夜、玄関のベルが鳴った。マークかと思い、鍵穴から覗いてみると、何とそこにはオスカー牧師が立っていた。 「こんばんは・・・入って…

私は妻とともに、カリフォルニア州ターロック市に全日制のミッションスクールを設立する準備にとりかかった。幼稚園から高校3年生までの学校を9月中旬までに開校するのは、至難の業だった。私達のビジョンがとてつもなく壮大なものだったのか、ただ単に世…

次の朝、私は校長に呼ばれた。 「ストーン博士と協議した後、ビル・シーザーはストレートAで卒業した。残念ながら君は私の道を選ばないのだね。」 こうして私はクビになった。妻は私に、少しは妥協し博士の言う通りにして教師の職に戻ってほしいと頼んだ。ま…

2学期の生徒達の公式な成績となる中間試験の採点が出た。ビル・シーザーという高学年の生徒が教室に荒々しく入ってきて、私の前に立った。ちょうど昼時で、私は机にお弁当を広げて食べているところだった。 「胤森先生、僕の中間試験の成績がBというのはど…

ある日曜の朝の礼拝の前に、ストーン博士が私のことをヒロシマの生き残りだと大げさに紹介したことが評判となり、私は直ぐに知られるようになった。まるで、神からの恩恵を受けたトロフィーのようだった。彼によって、私の人生が花開き始めているかのようだ…

数日後のある朝、私は経営幹部の秘書のマッキニーさんから呼び出され、第一バプテスト教会とバプテスト学校のシステムを作ったジェームス・ストーン博士のもとへ行くように促された。彼は会長の帽子をかぶっていた。私は学校のシステムもストーン博士が誰か…