その夜は、過去2年間の空白の時間を埋めるものとなった。姉は2周年記念の思い出の夜に、ジョイスが着られるようにと美しい着物を持ってきていた。既に姉との間に入った亀裂を埋めることは出来なかったが、その着物にジョイスは多少惹かれてもいて、自分の行いを悔やんでもいた。
「“日本人女性のように”着なければなりませんか? 私は中国人であることに誇りを持っているのですが・・・。」
ジョイスは姉に自分の気持ちを話した。それでも、彼女は祝賀会の初日には嫌々ながらも着物を着ていた。そしてその夜の祝宴が終わるやいなや、素早く着物を脱いだ。その行為が姉たちには皮肉に映ったが、私は内心「よくやった、ジョイス!」と微笑んでいた。


姉が日本から持ってきた音楽に合わせ、見事な日本舞踊を披露した時、その場にいたすべての招待客は喜んでくれた。それは長年アメリカに住んでいた中でも忘れがたい思い出の1つ、最も明るい出来事の瞬間だった。せめて姉の努力は信じようと思った。後になって、姉は日本舞踊の師匠になっていたということを知った。


「あなた・・・」私の前にジョイスが現れた。
「お姉さんが日本へ帰る時、この着物を持って帰ってもらうよう伝えてくれる? 気になって仕方がないから、今夜にでも話してほしいのだけど。本当に、見るのも嫌なのよ。」
ジョイスは2日目の夜には着物を着るのを拒絶し、そのことで姉はまた侮辱されたと思い、気分を害していた。私はジョイスの希望を尊重してくれるよう姉に頼んだが、姉は激怒した。毒舌がジョイスに向けられ、私は姉が言ったことを訳してジョイスに伝えるのを控えた。私の心の平静さが揺さぶられ、感情のバランスを失いそうになった。それは中国と日本の過去の争いの蒸し返しだった。


その言葉は、いくら血の繋がった姉とはいえ、侮辱が過ぎたように思った。予定では、店で家族そろっての夕食をすることになっていた。しかし姉は、中国人女性であることを理由にジョイスの給仕を拒否し、店員である日本人の敦子さんに給仕を頼んだのだ。すべてに不足がないように、ジョイスはあらゆる方法で日本人客を喜ばせ、尊敬しようと努力していた。しかし敦子さんは謙虚に姉の要求を受け入れ、妻にこう言った。
ジョイスさん、これは日本人女性の仕事で、あなたにできる仕事ではない・・・」
彼女はジョイスがこの店の経営者の妻であることも承知の上で、今まで思っていた本心を続けて話し出した。
「日本人同士はお互いを“感覚”で分かり合えることができ、また同じ日本人として、給仕の際には言葉でも楽しませることができます。そしてそのことが日本料理の味もより引き立てるのですよ。」
「君は何を言っているのか分かっているのか!」私は言ったが、
「結局、日本からの尊敬すべきお客様を私のようにもてなすことは出来ません。日本人でない人に、日本人の慎みを理解することはできません。」
弟が晩酌を始めると、敦子さんは日本人女性の上品で手馴れた動きでお酒を注ぎ足し、彼に“日本の感覚”を楽しませた。それは非の打ち所がないほどだった。姉たちも認めざるを得ないほど、彼女のおもてなしは全てに魔法の力が宿っているようだった。結果的に妻は侮辱され、恥さらしにされた。日本人の手によってはりつけにされた自分の妻を目の前で目撃したのだ。