私は妻とともに、カリフォルニア州ターロック市に全日制のミッションスクールを設立する準備にとりかかった。幼稚園から高校3年生までの学校を9月中旬までに開校するのは、至難の業だった。私達のビジョンがとてつもなく壮大なものだったのか、ただ単に世間知らずだったのかはともかく、自分たちの信念を実行しようとしていた。


私達は州都のサクラメント市に数え切れないほど車を走らせた。難問が次から次へと立ちふさがった。それは、官僚的な事務処理の問題だった。それでもゴールを目指して、私は自分を励ました。新しい帽子をかぶり、ミッションスクールの理事になりきった。そしてついに、学校設立に成功した。私はキリスト教教育者と教会の新しい道を開拓した“権威”になった。


ある日、私はロサンゼルスで行われたカリフォルニア州キリスト教役員会議の基調講演者の1人として、聴衆の前に立った。私の夢とビジョンについて語り、自分の経験を披露して、どのようにして我々の務めを果たしていくのか問題提起をした。


学校に戻り、生徒たちが教室を飛び出し笑顔で下校するまで後何分かと数えながら理事長室に入った時、私の胸の鼓動はドキドキしていた。自分が危険を冒したことに間違いはないと確信し、すぐにマーク・ジョンストンに電話した。
「もはやあなたに何も答えることはありません。オスカー・ニッケルソン牧師が校長の権利を引き継ぎました。そして昨日の午後付けで、私が副校長に任命されました。もし理由を知りたいのでしたら、直接オスカー牧師とお話してください。私からは何もお話することはありません。」
それがマークの答えだった。私はオスカー牧師に連絡を取った。
「トム先生、法的および道徳的損害から我々の立場を守るために、君を役員から除名する。私が学校を引き継ぎ、マークは私だけのアシスタントとなる。昨日付けで、君は学校および本教会とは何の関係もなくなった。君は解雇されたのだ。」
「オスカー牧師、あなたにはこの決断を下した理由を話す義務があります。いかなる動機があったにせよ、ます最初に私に伝えるべきではないでしょうか。それが聖書のやり方のはずです!」


オスカー牧師とマークが私の自宅を訪れたのはその夜のことだった。
「君が3人の男子生徒を教室から追い出し、叩いたと聞いたのだが。その上、君の体罰や君の凶暴な性質を我々は受け入れることができない。」
彼の言う“体罰”が、先週デュガンの息子たちに対して行った私の行為を指しているのがわかった。この少年達はある生徒から金を盗み、口裏を合わせていたのだ。
「マーク、君が話したのか? 私は彼らの両親から同意を得て叩いたのだよ。君だけは始終私の味方だと思っていたのだが。」
「そ、それは・・・福祉関係の人間が先週の水曜日にデュガンさんの家にやってきて、あなたが彼の息子を叩いたのを知ったのです。州が学校に対して法的措置を取るかもしれないと言われたので、素早くあなたを解雇する決断をしたわけです。これで我々も泥沼の法廷論争へ引きずり込まれなくてもすむ。彼らも告発の取り下げを約束した。」
「マーク、私がどのように生徒たちを叩いたか、忘れたようだね。私はなぜ彼らを叩くのか、そして金を盗み、口裏を合わせるということにどのくらいの罰が与えられるのかを説明したのだ。そして叩いた後は彼らをしっか抱きしめ、まぜ罰を受けたかを思い出させたのだ。それから今後どうすれば罰を受けなくて済むかも教えた。それは本当に彼らの心を尊重するやり方だった。家に帰す前に、もう1度彼らを抱きしめ、どんなに私が彼らを愛しているかを伝えた。愛しているからこそ罰をあたえたことを・・・。」


誰1人として生徒たちに、私の体罰をどのように感じたのか尋ねなかったことに私は落胆した。福祉関係の人達は、叩かれた理由を彼らに尋ねなかったのだろうか? オスカー達が帰った後、私は玄関に清めの塩をどさっと撒いた。