2月も2週目に入ったある日、電話口から聞こえる奇妙な南部訛りの男の声で起こされた。
「もしもし・・・」
ランス・スコット牧師と名乗るその男は、マークの妻の両親が所属するランドマーク・バプテスト教会の主任担当牧師だという。私は警戒心を解いた。
「タネモリ先生にお話があるのですが・・・」
その男は、マークがどんな人物であるか、私に意見を求めてきた。マークが担任牧師の一人として候補にあがっているのだという。電話に出たのが妻ではなかったのが幸いだった。


「こんちくしょう!」
私はそう心の中で罵っていた。マークからは無事に到着したことや転居先を知らせるハガキさえも届かなかった。その怒りが爆発した。私達は危機を乗り越えたにしろ、まだまだ銀行を当てにしなければならない生活だった。この電話を受けて、私のサムライ魂に火がついた。その時、あの夜の娘の優しい瞳がよみがえってきた。


その後、何十年もの歳月が流れたが、マークとその家族に関する噂は何1つ聞こえてこなかった。私は彼を“死人”として扱うことにし、自分自身の心の整理をつけた。そうすることで許すしかなかったのだ。私達は必死にコツコツと働いて銀行に借金を返した。黒松のような父の魂が私を強くしてくれていた。


善人にも悪人にも雨は降る。人生はタペストリーのようなものだ。その各部分は、出会った友人や目的地を織り込んでいく。そしてまたその道中で楽しんだ景色も一緒に・・・。