2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ミネソタの冬の非常な風は厳しさを増し、耐え難くなってきた。たとえ明日仕事がもらえても、2月1日までに誰が私に300ドルもくれるだろうか。私は土のない場所に根付いた野生の花のような気分だった。完全に打ちのめされたように感じた。神のご加護が必要な時…

色とりどりの木の葉が姿を消し、景色は雪に覆われた氷の大地へと様変わりした。キャンパスにはどっしりした樫の木が幽霊のように立っていた。私の心も凍っていた。使えるお金は一銭もなく、ホットチョコレート1杯さえ飲むことは出来なかった。まるで“みにく…

1960年9月4日、私はついに、ミネソタ州オワトナの田舎町にあるピルズベリー・バプテスト・バイブル・カレッジの正門前に立った。キャンパスはミネアポリスからちょうど70マイル南へ下ったところにあった。他の学生が全て白人の中、私はただ1人の日本人だった…

精神病院で私の魂を救ってくれたアメリカ人看護婦のメアリーの無条件の愛が、私の未来を決定づけた。キリスト教の奉仕に一生を捧げたいという強い気持ちは抑えることができなかった。私は使用人として2年間、ユダヤ人のシュタイナー夫妻に仕えた。夏に休暇を…

ある日、2人の医師が長い廊下へと私を案内した。そしてある部屋へと通された。そこには見たこともない黒いガウンを着た男がいた。後になって、この男がカリフォルニア州スタニスラウ郡地区の判事だとわかった。判事は長いテーブルにつき、その周りに7人の医…

ある金曜日の午後3時、いつものように微笑みながらメアリーが言った。 「トミー、私はクリスマス休暇で家に帰るの。1週間で戻るわ。」 「メアリー、ボク、もう会えないの?」 「いいえ、大丈夫。月曜日には帰ってくるわ。」彼女は私の手を取って安心させよう…

今日が何の日で何が起こるのか、私には見当もつかなかった。午後2時頃、メアリーの下で働いていたグレゴリーさんが真剣な顔つきで私に近づいてきた。 「トミー、メアリーが君に掃除を手伝ってほしいと言っているのだが。」 「メアリー、ボクに掃除、手伝っ…

メアリーとの出会いは衝撃的だった。彼女はたった1人で、何も持たずに私の部屋に入ってきたのだ。今まで誰も1人で部屋に入ってくることはなかったのに。彼女は全く何もわかっていないか、頭がおかしいに違いないと私は思った。近寄ってくる彼女は、私を怖…

私達を護送してきた2人の警官は、分厚い書類の束にサインするや否やくるりと背を向けて、無表情の医師とともにゲートへと向かっていった。そしてすぐに、白衣を着た私の3倍くらい大きな筋肉質の男2人が手錠をかけられた患者に近づき、数人の医師に付き添わ…

実験による肉体的な苦痛以上に、胤森家の長男として経験したこの恥は、私の胸を切り裂くようだった。天から父が私を見ているのではないかと思うと、私の魂はもはや耐えることができなかった。私は太陽に向かって叫んだ。 「僕はお前なんか嫌いだ。お願いだか…

私が覚えているのは、埃まみれのホステス・スノーボールを食べて、その晩血を吐いたことだった。そして今、私は閉じ込められ、鉄のベッドにくくりつけられている。私と医師たちの間にはなはだしい言葉の壁が立ちはだかっていた。何がどうやって起きたのか、…

ある日曜日、私達は疲れきって施設内で休日を過ごしていた。ぶらぶらと歩いていると、私はビールやソーダなどの炭酸飲料や甘いキャンディーなどを買うことができる売店を見つけた。たくさんの労働者たちがお店の回りに集まって、食べたり飲んだりしながらつ…

1956年6月22日、アメリカ人に復讐するための私の旅は、予期せぬ方に向かった。アメリカと呼ぶその約束の地はただの幻想にすぎず、100万年かかっても夢は実現しないということがすぐにわかった。私はカリフォルニア州デラーノの移民強制労働収容施設に送られ…

ホッとひと息

こんにちは。管理人の賀上由紀子(かがみゆきこ)です。いつも読んで頂きありがとうございます。貴士はいよいよ未知の世界へと旅立っていきましたね。次回からは、アメリカでの生活に入ります。今日はホッとひと息ということで、私の方から少し書かせていた…

仲村先生がこんなにも深く私の魂を揺さぶったことに気づく人は、誰もいなかった。村田先生や佐津子でさえ。彼女はあらゆる危険を冒して私を愛し、私に愛とは何かを教えてくれた。彼女が“あはれ”と呼ぶ、心からの教えの中で、他人に共感することや、他人への…

あの日以来、私は意識して佐津子を避けていた。彼女に別れの言葉を求めることは、全く期待していなかった。驚くことに祖父母の境は、私の新たな決意を好意的に受け止めていた。祖父は、私が裕福になって帰ってくることを誓う限り、私の成功を祈ってくれてい…

佐津子が家に泊めてはくれないだろうと分かっていながら、私は仕事と寝泊りする場所を得るために、祖母のトメのところに行った。ちょうど田植えの時期で、彼らが人手を必要としていることを知っていたのだ。私は長年、祖母を鬼のように恐ろしい人だと思って…

1月7日、私は佐津子との約束を果たし、夜明け前の一番列車で紅葉村を去った。奇跡的にも私は、広島から1時間ほどの呉市で、家族経営の小さな食堂で仕事を見つけることが出来た。呉市は戦時中、重要な海軍の造船所があったところで、今はアメリカ海軍兵に協…

何日か経った後、私は一旗あげようとブラジルかアルゼンチンにでも渡ろうかと考え、広島の役所に向かった。私の望みを聞くと、親切そうな年老いた役人は、私にアメリカに行くよう勧めた。私は耳を疑った。 「なんてばかげたことを言うんですか。アメリカは両…

汽車が紅葉村に着いた後も、夜の闇が辺りをすっかり覆うまで、私は目立たないように身を潜めていた。父の墓を訪れる前に誰かに顔を合わせることは、私には耐えがたいことだった。そして夜も深まる頃、私は父の墓前にひざまずき、父に自分の胸のうちを静かに…

しばらくすると、大理石の飢えを歩くような足音が聞こえた。その音は段々と近づいて止まった。私は何度も叩かれている大きな寺の鐘の中にいるような感じがした。その痛みは激しくなった。一回一回の音が、私の頭をハンマーで打ち砕いているかのようだった。…

誇りを守るために名を汚すことになった痛みは私には耐えがたかった。熱い溶岩のように私のお腹は爆発し、胸は幾千にも引き裂かれた。追い詰められた私は、胤森の名を晴らす唯一の方法、無実を証明する唯一の方法を決めた。自ら命を絶とうと。父はこのことを…

翌朝の月曜日、私は凍るような水に手をつけながらも、歌を口ずさんでいた。朝食が食べ終わった時、主人に呼び出され、ドアを閉めるように言われた。私は、赤ん坊のおもりの手伝いをもっとよくするようにと言われるのだろうかと思っていた。主人は私をじっと…

お歳暮の季節になり、質屋はお金を必要とする人たちがやってきてとても忙しい時期となった。主人は私が足を踏み外すのを今か今かと常に目を光らせていた。ある日曜日、主人は娘と祖母を訪ねて留守だった。私は奥さんの部屋に向かい、障子越しに赤ん坊のおも…

奥さんのお腹はしだいに大きくなっていった。上司が午後から外出したある日、奥さんは突然お腹をぎゅっと掴んでうめき声をあげた。 「赤ちゃんが・・・!」 彼女は叫んだ。すぐに彼女の側に駆け寄ると、彼女はその激しい収縮を感じることができるようにと、…

その年の冬は、今まで経験した中で一番の寒い冬だった。六甲山から吹き降ろす有名な六甲おろしは刺すように冷たく、隙間風の入る店で暖まることはできなかった。凍えた足や手を動かすことはとてもつらいことだった。私が毎朝5時に起きることができたのは、た…

その夜の会議で、私は渡瀬さんの質店で使い走りの丁稚坊主をすることになった。彼は私が親なし子であることをはっきりと言葉にした。その背後にある理由は何なのだろう。彼はどれくらいきつい仕事を私に与えるかについて、満足げに眺めては喜んでいるように…

卒業式の後、教頭先生が級友の賢一と私に仕事を見つけてきた。それは神戸での丁稚奉公だった。拘置所のようだった紅葉村から離れることで、私は初め意気揚々としていた。一方で、仲村先生に別れを告げるのは大きな悲しみだった。 私達は神戸に旅立つ前の最後…

村田先生と私にとって、最終的な段階となった。彼は私の今のメッセージでは大会に勝てないと確信していた。しかし、私の出場を取り消そうとはしなかった。その日がやってきて、村田先生と汽車で広島市に向かった。広島市に近づくと、あの日の記憶が甦ってき…

村田先生以外は、学校全体が私の弁論を激励した。皆は私がトロフィーを持って帰ることを期待していた。大会まであと1週間になった時、私はもっと苦しい決断を迫られていた。先生の助言と要求に従うべきか、それとも自分の心に従うかということだった。私は秘…