数日後のある朝、私は経営幹部の秘書のマッキニーさんから呼び出され、第一バプテスト教会とバプテスト学校のシステムを作ったジェームス・ストーン博士のもとへ行くように促された。彼は会長の帽子をかぶっていた。私は学校のシステムもストーン博士が誰かも知らなかった。
「マッキニーさん、失礼な言い方かもしれませんが、なぜ彼が誰であるかも知らないのに、急に電話で呼び出されなくてはならないのですか。しかも金曜の朝10時だなんて。もう、あさってではないですか。」
「胤森牧師、あなたはストーン博士のことを“彼”と軽々しく言っていますが、ストーン博士がどんな方かを知ったら、あなたは今すぐ言葉を慎まれると思います。もう一度言っておきますが、ストーン博士を知らない者は誰1人いませんよ。誰1人博士に反対するものはいませんし、“なぜ”と聞く人は、それなりの覚悟をしないといけません。そのことを心にしておいてください。」
「あー、そうですか。ではストーン博士は私のような者は初めての経験でしょうね。マッキニーさん、彼が私のことを日本人の心を持っている人物と知った上で私に会いたいというのなら1度はお会いしますが、金曜日は無理ですね。」
「胤森牧師、あなたはストーン博士がどんな方で、どんな力を持っているのかをよく分かっていないようですね。博士はわが国の精神的な指導者と見なされ、高く評価され、尊敬されているのです。その博士があなたのような人々に目をかけ特別な名誉を与えるのですよ。言葉を慎みなさい。博士が示した約束を守るべきです。それがあなたのためですよ。」
私は心からの感謝の気持ちを表した後、会合の日時を金曜日ではなく、次の週の火曜日のランチタイムに合わせたらどうかと提案した。
「マッキニーさん、もしこれでよければ後ほど彼から電話を頂きたいのですが。では、よろしくお願いします。」


結局、私たちは、私の提案した条件で会合をもった。彼は高校生の“人格形成”のために、人生を捧げる意志があるかと、私に尋ねた。結果として、私は高校教師として雇われることになった。私たちは新たな使命に人生を委ねた。


私たちの生活に起きた最初の大きな変化は、すべての雇用者の必要条件として第一バプテスト教会に入会することだった。突然、私自身は“井の中の蛙、大海を知らず” のように思えた。高校教師として雇われて2週間も経たないうちに驚いたことは、ストーン博士という人物は、マッキニーさんが言われた以上に恐れるべき人物だったことだ。彼の権力は単に5000人の教会のメンバーだけでなく、その市の役所などにも大きな影響を与えていた。


“権力”の代表的なものとして、彼の言葉はすべての教会のメンバーと教授陣の“法則”になっていた。国中の教会や多くの牧師に対して、彼の“力”が大きく影響すると知った時、私は驚きを隠せなかった。もし、彼があなたに「飛びなさい」と命じたら、「どこまで高く飛ぶのですか」と質問することもなく、ただ飛ぶだけだ。まるで彼自身が神そのもののようだった!


個人の問題であろうと職業的な問題であろうと、誰1人として危険を冒してまで彼の力に反抗するものはいなかった。彼に逆らう者は“村八分”として生きる道しかなかった。彼への明白な服従が、個人が生き残っていく道だと考えられていた。