数日後、私は希望の光を見つけた。現代の科学技術は、スペースシャトルで数百万マイル離れた月面に人間が降り立ち、安全に地球に帰ってくることができるし、潜水艦で深海の底に広がる未知の領域に入ることができる。どちらも完全に真っ暗な世界だ。これらの技術を応用して、無限に暗い環境にいる盲目の人達がより移動しやすくなるようなシステムを開発できたら、どれほど素晴らしいだろうか。


私は再び熱意を取り戻し、“スマートシティー”と名づけたこのシステムに興奮した。このシステムが他の身体障害者にも認められれば、再び人間の尊厳を持って社会の本流に戻って貢献する道が開ける。私はそう信じていた。しかしそれを設計する知識や能力不足に加えて、そのようなプロジェクトを成し遂げるための資金を持っていないことが悩みの種だった。“奇跡”が起こらない限り、ここから先には進めない。


1994年2月17日、その“奇跡”が起きた。私の提案した誘導システムについて相談するために、カリフォルニア第10地区のビル・ベイカー国会議員に会うことができた。彼はその後、カリフォルニアのリバーモアにある、ローレンス・リバーモア国立研究所(LLNL)の技術者らを加えて、会合の手はずを整えてくれた。提案されたプロジェクトは前へ進もうとしていた。全く見込みのないところから希望をつかんだことは、信じられないほどの喜びだった。暗闇の中だったからこそ、希望を見つけることができたのだ。


LLNLは、冷戦時の爆弾工場の1つであり、実験室はTAGSという電子工学の高度な誘導システムを目標に発展してきた。実験室は“軍事から平和への転換”を遂げようとしていた。実験室の年長者であるトム・ムーアが、もし実現したら携帯電話と同様の効果だと言っていた。バスや電車で病院に通ったり、買い物や野球観戦に行く大勢の高齢者や視覚障害者たちを支援することができる。まさに無限の可能性だ!


1994年7月21日、TAGSプロジェクトの財政援助金を受けるため、ワシントンDCで開かれた米国議会の小委員会の席に呼ばれ、カリフォルニア州議会議員、下院議員、そして大統領の心に訴えかけ、輸送委員会と連絡を取り続けながら4年後を待ちに待った。しかし、全ての努力の甲斐なく、資金援助を受けることは現実にならなかった。LLNLは、資金援助なしでこのプロジェクトを進めることは困難だという決定を下した。


もちろん、私は失望させられ、気を落とした。しかしこれは失敗ではない。ただ挑戦し続けるだけだ。私はしばしば障害に不平を言ってきたが、今はそれが支えとなっている。結果はともあれ、他の人と交わる機会を多く得られたということは、私が恵まれた道の中にいるということだ。私にとって重要なことは、肉体的な障害と心の闇に向き合った数年間があったからこそ、自分自身を守っていた“繭”を破ることができ、国の違いや痛みを超えて、ついに他の人を助ける道を見つけることができたということだ。