私はステージに上がり、演壇の後ろに立つと、攻撃的で火のような復讐への憎しみに満ちた私のスピーチを待っている、期待に胸膨らませた聴衆の顔を長い間見渡していた。しかし、甦ってきた夢のおかげで、私の敵はアメリカ人でも冷たかった日本の社会でもないことがはっきり分かった。敵は自分自身の心の暗闇であり、私以外の何者でもなかったのだ。


私は原稿のすべてのページに赤ペンで×印をつけて捨てた。なせなら、この40年間にも及ぶ父の死に対する復讐心は消え去ってしまったからだ。私は魂を委ね、こう言った。
皆さん、私を許してください。今日つい先ほどまで、私は皆さんに復讐のためのスピーチをするつもりでした。そんな私をどうか許してください・・・。」
会場はどよめいた。そして私は初めて、魂の最も深いところからやってきた“赦しと平和”についてだけ話したのだ。


私は初めて今までのことが全て納得できた。その夢はこの40年間、私の魂の奥深くで眠るように私を待っていてくれたのだ。私にとって“蝶”は、内面の変容をもたらした神聖な天使になった。アメリカ人と日本社会に対して復讐をすることに費やしていた全ての怒りや苦しみは、白い蝶が魔法の力で私の心に触れた時から、圧倒的な愛と引き換えに薄れていき、ついに過去40年間もの間私の目をふさいでいた粘土を取り除いたのだ。


帰りの高速道路は、あっという間にわが家に連れて帰ってくれた。
「どうしたの? 何かあったの?」
と、妻のジョイスは私の顔を見て尋ねた。私の顔に、何か明るいものを見つけたのかもしれない。妻にあのベイブリッジでの奇跡を話すのが当然だったかもしれないが、私はまだこの奇跡を自分の中で整理することができずにいた。私は妻や子供たちから離れ、自分の手で築いた日本間と日本庭園に閉じこもった。


そして10日後の8月15日。この10日間、私は喜ぶべき自分の心を責めていた。自分がしたことは父親の墓場で命をかけて誓った復讐を裏切ったのではないか、どんなお詫びをしたらいいのか、またお詫びですむことなのか、父親に長男として会わせる顔がどこにあるのかということだった。食事もあまりできず、睡眠不足で体は疲れ果てていた。ただ、ドカーン、ドカーンと太鼓をたたいているような音が体中に響き渡っていた。最後の2、3日は、耳の鼓膜が破れるほどの大きな音がして、両手で耳をかぶせて悲鳴を上げても、その大きな音は逃げてはくれず、ますます鼓膜を刺激してきた。


息苦しいほどに追い込まれた時、しかたがないとあきらめて、ただ一つの道を選択しなければならなかった。それは父親に真正面からぶつかってゆくことだ。彼の教えはどんな結果であっても自分の心に素直に従うことだ。


それは両手を耳から離した時だった。その瞬間、懐かしい父親の優しい、暖かい、強い声が、静かな鈴の音のように聞こえてきた。
「お父さん、この貴士を許してやってください。貴士は自分の約束、誓いを破りました。何十年かかっても復讐をすると、日本を40年前に出てきてアメリカにやってきました。復讐するどころか、貴士は赦す道を選んだのです。お父さん、この貴士を見捨てないでください。この長男である貴士にもう一度優しい声で“貴士”と呼んでやってください。お父さん、お父さんを裏切った貴士を許してください。」
必死のお願いに、自分の体から力がすべてなくなった。誰かが水の栓を抜いたように、顔を上げて父親の顔を求めることもできなかった。