何か暖かいものがやってきた・・・「貴士」・・・父親のはっきりときれいな声。小学二年生の時、母親に嘘を言って父親に叱られた後、優しい、強い腕でこの私を抱きしめてくれたあの父親の姿が甦ってきた。
「貴士、よくやってくれた。よかった、よかった。貴士がしたことは最大の復讐の道だったんだよ。赦すことが何よりも大きな復讐だったんだよ、貴士。」
父親の声と一緒に私は改めて父親の強い腕の中で安らぎを感じ、幸せを見つけることができ、父親の愛に溺れていた。気づいた時には、はや時計は真夜中をさしていた。急に私はわが家に帰ってきたように感じた。父親の優しい声は、本当にこの私を生き返らせてくれた。父は最後にこう囁いてくれた。
「お前は私の心だよ。」


ついに私は、赦しを通じて“平和”と呼ばれる場所、私が父に約束した場所に「ただいま」と言って帰ることができた。痛ましい過去を手放すことによって。私の体は広島の傷跡に耐え、苦しみと記憶は永遠に私と共に生き続けるだろう。しかしたとえそうだとしても、私は全てを赦すことができる。私はある船が錨から解放されて波止場から出港するように、人生の新しい朝を迎えたのだ。なぜか白い千羽鶴と白い蝶は、この私をこの過去40年もの間導いてくれていた。目に見えなかったが、船長が舵を取って船を長い荒波をも乗り越えて目的地の波止場に導くように・・・。


40前に起こった人類の歴史上の出来事と、一見何の関係もないような白い蝶が、私にとってはどれほど重要な意味を持つことか。ちょうど蚕が自分自身を犠牲にして変容し、美しい絹糸を創り出すように、私たちもよりよい世界を創り出すことができるということを私は理解できるようになった。人間の争い、国の対立、人種間の憎しみ、文化的な違いは、暴力や戦争に変換することなしに、また終わりのない復讐の輪を循環させることなしに、解決することができるのだと。