私は妻に内緒で幾度となく主治医のもとを訪れていた。心の重荷を下ろしたことに、彼は少しも驚く気配はなかった。今まで以上に精密な検査を受け、何か危険な橋を渡るかのような不安を感じた。その夜、少しでも体を休めるために眠らなければならないという衝動に襲われながらも、時計の針の音が異常に気になって眠れなかった。呼吸が浅く胸に不快感があり、大きな不安を感じていた。早く夜が明けてくれることを、ただひたすら祈っていた。


モデストという近くの町で資金集めに走り回っていた時、突然、私の胸に鋭い痛みが走り、体が2つ折りになった。1度、2度、そしてまた・・・。非常に鋭いその痛みで車を運転し続けることができず、道路の脇に寄せた。息苦しく喘いでいたが、通り過ぎる車が私の状態に気づくことはなく、呼吸が整うまでに1時間近くもかかった。冷たく蒼白になった顔で、何とか店に帰ってくることができた。“未知の恐怖”が現実となり、私の心にますます不安が広がっていった。


夕方から夜にかけての営業は、昼間と違って盛り上がり、やりがいがあった。いつものようにお客さんに挨拶をし、彼らに感謝していた。ターロックで外科医をしているドクター・ガーサムは常連客の1人で、いつも決まったテーブルで食事を楽しんでいた。また時々、店内の庭に座りながら、朱色に塗られた太鼓橋の下の岩の間を元気に泳ぎ回る鯉をじっと見つめていた。水車の回る音が聞こえる中、時々鯉が水しぶきを上げて飛び跳ね、踊っているようだった。池に映るロマンティックな提灯や“さくらさくら”の音楽を背景に、夜の静けさを賞賛しながら短い一夜をともに楽しんだ。それは本当に素晴らしい時間だった。その日の午後に起こった出来事にもかかわらず、ようやく長い1日が終わりに近づいていた。その時、
「うっ!」
突然、呼吸が喉につかえて息ができず、静かに唸った。午後の痛みとは違った、切り裂くような強い痛みが襲い、恐怖で胸がいっぱいになった。その後、2度目の鋭い痛みで私は倒れ、既に閉店した厨房に駆けつけたドクター・ガーサムが妻を呼ぶようにと叫ぶ緊迫した声がおぼろげに聞こえていた。私の意識は遠くに漂流していった。


無常にも時間だけが過ぎていった。1日、そしてまた1日と・・・。私は危篤状態で、意識は朦朧とし、たくさんの管に繋がれた体は、ワイヤーのジャングルのようだった。鼻に取り付けられたチューブからの酸素吸入で、わずかに呼吸をしていた。私はターロックにあるイマニュエル病院の集中治療室に運び込まれていた。数人の医師と看護婦が交互に診まわっていた。生死をさまよう間、妻が私の傍らで愛を送り続けながら見守ってくれていたこと、店を続けながら、同時に子供達の面倒もよく見てくれていたことが改めて分かった。目覚めたら、その感謝の気持ちを一番に妻に伝えたいと思った。


手にカルテを持った主治医のドクター・フランク・デイビスがベッドの横に立ち、扉は完全に閉められた。私達は2人きりになった。
「ドク、どうしてこんなにパイプやワイヤーをつけるのですか?」
腹立たしい思いがこもった私の言葉には触れず、彼は優しく話しかけた。
「おお、トム、すべてが大丈夫かどうか確かめているのです。」
今までに経験した覚えがないほどの優しい声は、私の心の傷の深くに一層染み渡った。
「あなたに心臓発作の持病があったことを知ってほしいのです。」
「し、ん、ぞ、う、ほっ、ほっ、発作ですか?」
それまで幾度とない痛みを誤魔化してきたが、現実に聞かされると信じられない思いだった。


1週間が過ぎた。みな私のことを気にかけているだろう。店の料理人や従業員を引き止めることができるだろうか。彼らはどうしているのだろう。それにしても花や手紙の1つもないのはどうしてだろうか?


私は裏切られたと感じた。牧師をしている時にも、数人の牧師から陰で笑われていた経験があったからだ。何人かの人達が私を訪ねてやってきたが、個人的に知る人は誰1人いなかった。全く知らない牧師の1人が私を慰めに来た。運命とは皮肉なものだ。


「みな元気にしているか?」とジョイスに弱々しく尋ねた。
「話す必要はないわ。」
彼女は窓の方へ行き、わずかに開いていたカーテンを勢いよく開けた。ベッドの上に横たわりじっとして動かない私を、3人の子供達の視線が見つめている。私達を2つの世界に分けているガラス越しに、一晩中私を見守ってくれている。彼らの愛、彼らの希望、彼らの恐れ、それらが暗黙のメッセージとして伝わってくる。彼らの目はまるで宝石で満たされているようだった。8歳になった娘のロクサンから、愛がいっぱいに詰まった手作りのカードを受け取った。
「パパ、早く元気になってね。パパがいなくて淋しかったよ。パパのこと、いっぱいいっぱい愛しているよ!」
娘の言葉は、痛手を受けて沈んでいく鉄の軍艦のような私の心を持ち上げ、引き上げてくれたようだった。