「結局、君は私の悩みの種だったのだ。君のつたない日本語の説教を聞くと、ここがあたかも二流の教会のような気分になったものだよ。事実、長老や信徒たちの多くは、日本人牧師である君を教会の指導者として認められないと言っていた。私は教会員の要求を考慮しなければならない。それに、親としての責任もある。今春、息子が私と同じ神学校を卒業するのだが、彼が君の後を継ぐのだよ。」
私は開いた口がふさがらなかった。
「トム、私が昨日君の仕事を褒めたたえたのは本心だった。それだけは信じてくれ!」


私は混乱していた。何とややこしい男だ。この突然の知らせを妻にどうやって伝えればいいのだ。何年にもわたって、私は多大な犠牲を払ってきた。妻子の要求よりも、常に他者を優先させてきた。復讐の気持ちを愛と奉仕に昇華させ、何年も白人信徒に奉仕してきたというのに・・・。日本人牧師のどこがいけないというのだ。またしても、自分自身の人生を見つめ直し、私の信仰や心が試される時がやってきた。


スワンソン博士の願いは叶い、10周年記念の説教が新しい教会で行われた。それが彼が行った最初で最後の説教だった。その後、彼は教会の長老に罷免されて、辺鄙な田舎の無名の教会に移ったと風の噂で聞いている。


私の牧師としての仕事を振り返ると、魂を救うことで他者を助けることができ、ひいては自分自身の魂の救済へとつながっていった。1人1人の心の安らぎが、平和、いや世界平和の第一歩であると改めて確認した。私は心や魂をこの仕事に捧げていたが、父の墓前で誓った復讐の念にも取り付かれていた。全ての行動には結果があるという父の教えで目が覚めたことも度々あった。復讐は終わりなき暴力の連鎖を生む。そう思いを巡らした時、次は誰が私に復讐するのだろうと、いつも疑問がわいていた。この連鎖を断つには、アメリカ人を殺すのではなく、彼らを心の闇から抜け出させ、同時に私自身の心の闇も光に変容させていく必要がある。


私が最初に白人の教会で職を得た時、歓迎されたのも事実だった。彼らはヒロシマの生き残りである私が神の恵みを体現し、私を牧師として育てる使命があると信じていた。しかし時が経つにつれて、彼らから未解決の罪悪感や苦しみ、また戦争で愛するものを失った人々からは憎悪が伝わってくるようになった。


「あなたは日本に帰って日本人に仕えるべきです。私達より日本人の方があなたを必要としているでしょう。」
このように、ただ単に人種が違うというだけで人を分けてしまう考え方に、私はとても悲しんだ。私は、万物を創造された創造主はただ1人であり、その方は私達1人1人の内側におられると信じている。この宇宙的な考え方は、自分達の崇拝する神が唯一の神だと固執する人々にとっては耳当たりがよくないかもしれない。私は霊的な世界に階級は存在せず、誰もが直接神とつながることができると信じている。私の中でこの考え方が年を追うごとに強くなり、ついには教会を去らなければならなくなった。


最後に彼らが私に語った口実は、“私の英語が十分ではない”というものだった。これは確かにそうであり、真実だった。それは今も同じだ。ただ1つ私に残されている道は、私自身の心、魂、一命を天命に捧げ、自分が約束した父の教えを生き抜くということだけだ。