2005-02-01から1ヶ月間の記事一覧

中学校での生活も残すところ半年となり、高校に進学する多くの生徒たちにとっては、自分の未来を決めるための厳しい時期となった。私はどうしても高校に進学したかったが、親なし子の私ができるはずもなかった。私は人生の現実を受け止め、進学をあきらめた…

2ヶ月近く経って、私は仲村先生と高田駅で会っていた。私達は七夕祭りに行こうと計画していたのだ。天の川の岸で年に一回会えるという牽牛と織女。七夕祭りは向原で開かれていた。向原は広島と三次をつなぐ芸備線沿いの大きな町だ。誰も私達についてこない…

1、2週間たった頃、佐津子は私に起こった変化を信じられずにいた。私はここ何年かで初めて耳の掃除をし、爪を切り、髪を丹念にすいた。洗濯したハンカチを上着のポケットに入れ、制服のズボンを布団の下で寝押しするようになった。不良のような行いもやめ…

私が大人たちに囲まれて校庭に立っている時、やわらかく軽快な声で私の名前を呼ぶのが聞こえた。振り返ると、不機嫌な大人たちから2、3歩離れたところに美しい女性が立っているのが見えた。彼女は息を呑むくらいの美人だった。彼女の暖かさと親近感が広が…

私は学校からまっすぐ家に帰らずに父の墓へと向かった。今までの辛く長い日々、父だけが私を見守ってくれていた。今度は私が輝く番だ。今までひどい扱いを受けてきたが、私は今や甦って芽吹いたのだ。私は自分の心のままに、正しい道を歩んでいることを確認…

村田先生は、校長先生や他の先生たちにも読んでもらうよう、私の作文を渡した。そして先生はよく考えた末に、近いうちに行われる弁論大会に参加するよう私を駆り立てた。私は校内の大会に参加し、全校生徒の前で話をした。そしてその直後、私は村田先生に職…

冬休みが明けて学校が始まった。最初の日の朝礼の後、村田先生から放課後残ってほしいと言われた。いったい何をするのだろうという期待と不安が心をよぎった。 「胤森!」 先生はとても親しみを込めた声で、私を呼んでくれた。そして先生は、私の怒りや憤慨…

「胤森、私の話を聞いているか? お前は恥ずかしくないのか? 長男であるにもかかわらず、家族に恥をかかせたんだぞ。」 先生はよく手入れされた庭を見て、ガラスの引き戸の方に歩いていった。そして、私に隣に来るようにと手招きした。 「庭の真ん中にある…

1952年12月15日は私の15歳の誕生日だった。しかし私は何の喜びも感じなかった。私は誰とも連絡を取ることが出来ない、寒い拘置所の中にいた。私は遠くに去ってしまった父の教えに立ち向かうことができなかった。私から父を拒絶してもなお、父が私を呼ぶこと…

佐津子と私はもはや執念深い敵同士になっていた。私たちはお互いが苦悩の種だと感じていた。そんな中、佐津子は黒木という若者を家に連れてきた。彼女の狼狽した紹介の仕方で、私は姉にとってこの若者が彼女を守ってくれる鎧であり、輝く騎士であるとわかっ…

5年生の私は、貧富の差が広がってきたことに気づいた。「すべてにとってより大きく良いことのために自分自身を捧げること、他のものの為に自分の人生を送ること」という父の教えは、私の良心に大きな矛盾を引き起こした。村人たちは、私を独りにさせて容易…

私は“不良少年”という、汚名の烙印を押された。確かにそう呼ばれても当然だった。中学生の間に、私の態度や評判はますます悪くなった。私は度々怒りから事件を起こした。ある時、村の指導者が偶然に落とした眼鏡を踏みつけ、よろめきながら私を追いかけよう…

6年生の時、橋本先生が、私が新聞配達の仕事ができるように取り計らってくれた。私は村ではとても怪しい存在とみなされていたが、先生が私を心底信頼してくれたおかげで、最終的に経営者は嫌々ながらも、私に見習い期間を与えることに賛成した。毎朝新聞を…

夕食後、先生と私は廊下の外の玄関口に腰をかけて足をブラブラさせながら、光輝く星たちを見ていた。キラキラしている様子は、まるで星たちが会話をしているようだった。 「先生見て! 流れ星!!」 「貴士くん、向こうのあの明るい星を見てご覧なさい。あの…

月曜日に学校に行くと、私のしたことはみんなに知れ渡っていた。弱いものいじめをする者たちからからかわれ、侮辱的なあざけりを受けた。 「ああ、何てかわいそうな親なし子、お世話をしてあげようか? かわいそうに、誰も面倒を見てくれる人はいないのかい…

祖母のトメとその家族は、胤森家の子供たちが草を探し回っている時に白いご飯をお腹いっぱい食べ、比較的楽に生活し続けていた。夏や収穫の季節は、何人かの親切なお百姓さんたちが私達に、彼らの畑の取り残した果物や野菜や木の実を取ることを許してくれた…

原爆から3度目の秋が訪れる頃、私は光川さんという名前の心優しい女性の経営する床屋さんの中に、安全な場所を見つけた。とても親切なおばあちゃんで、私は彼女を“サツマイモおばあちゃん”と呼んでいた。それは彼女がお客さんの髪を洗ったり、切ったり、髭を…

胤森家の4人の子供達は、守ってくれる人も導いてくれる人もなく、つらい海原へと放り出されてしまった。父の死によって、私達は“親なし子”になった。親子の絆が何にも増して尊重されていた日本の伝統的な社会の中で孤児になるということは、社会から締め出さ…

「どうしてお父さんはこのことを僕に念押ししなければならないのだろう。」 私はつぶやいた。なぜなら私が生まれた時から、繰り返し繰り返し何度も何度もこれらのことは聞かされていたからだ。父はお茶がほしいと言った。一口飲むと、また続けた。 「社会的…

1945年8月6日の致命的な原爆投下から4週間が過ぎたこの日、父は私を傍らへ呼び寄せた。父の目に再び灯りが灯り、父の声は力強くなった。父は私の手を取りこう言った。 「貴士、お前にわかってほしい。私がお母さんと一緒になるにはたった1つしか方法がない…

日本では8月15日はお盆で、肉体から離れた魂は、子孫に温かく迎えられて家に帰る。1945年8月15日、私は村でたった1台しかないラジオの周りにぎっしり集まった村人達と一緒にいた。私達はパチパチと音のするラジオから、裕仁天皇の声を聴いた。 「…

駅で火葬された悪臭が、納屋の中に入り込んだ。死の天使は忙しくしていた。納屋の隙間から入ってくる太陽の光が十分に高い位置に来るまで、私は眠り続けていた。私はマスヨ姉さんを見た。彼女の妙にやつれた顔の中で大きく見開いた目が、死人のように一点を…

「芳子は帰ってきたか?」 誰かの声が広場の向こう側から聞こえた。普通なら家長である父の名を呼ぶのに、不自然だと思った。私達から彼女に近づき、父は躊躇せずに言った。 「栄のお母さん、胤森貞夫です。」 父はそう言うと、祖母と夫の栄二郎にお辞儀をし…

汽車はしゅっしゅっぽっぽと音を立てて地獄から抜け出し、なだらかな丘や青々と茂る緑の谷間を通り過ぎていった。竹林に入ると、竹が汽車のスピードに合わせて揺れ動き、まるで「ようこそ」と私達を歓迎してくれているかのようだった。しばらくすると汽笛が…

無言でとぼとぼ歩いていた群衆は、急にきちがいじみたように走り出し、汽車に一番近い扉から押し入って車内の小さな場所を奪い合った。弱い者は脇に押しやられ、殺到する人の中で踏みつけられた。プラットホームで困り果てた親たちは、見知らぬ人に頼んで、…

身体は衰弱していき、生きながら死んでいるのか、死んでいながら生きているのか分からないまま、死神のように歩いていた。かつて豊かな田んぼが広がっていたこの川沿いの土地は、今や爆風で不毛の地となっていた。私達は、黒焦げになったでこぼこの野原をよ…