2003年7月、私は神戸市で行われたあるお話会に出席した。カフェに集まった方々に私の体験を話している時、私は二人の子供の純真さ、ひたむきさに感動した。話の途中で、8歳の女の子が何か私に聞きたげな様子で手を挙げた。しかし、傍にいた母親が「だめよ」と慌ててその子の手を降ろして座らせてしまった。私はその母親に「どうぞ、いいですよ」と微笑みかけた。その女の子は無垢で無邪気な子供らしい目で私を見た。そしてこう話し始めた。
「お母さん、大人は戦争でたくさん人が死んだのよ、って私達に文句を言うでしょ。私、お母さんが言うように、すごくたくさんの人が死んだって知ってるわよ。でも、どうしていつも大人はたくさん人が殺されたんだって文句を言うの? 鳥や動物や昆虫だって何百万匹も殺されてるの、知ってる? そうでしょ?た…たーねーもーりさん?」
彼女の母親は黙って席についた。彼女の言ったことは、私たち大人が聞くべきことだったのだ。


私は我に帰って、数分前に中断したところから話を続けた。その時、その女の子の隣に座っていた9歳の女の子が立ち上がろうとした。私は彼女が何をしたいか分かったので、「どうぞ」と彼女の母親を見て首を縦に振った。母親は「しょうがない子ね」と言った表情で、渋々娘に話をさせるしかなかった。その二人の女の子は静かに目を合わせ、純粋なエネルギーでコミュニケーションを取ろうとしていた。
「たねもりさん、どうしてお母さんが神様はいるっていつも言ってるのかわからないの。神様が戦争を始めるの? いつかお母さんが、神様がどうして戦争をやめなかったか言ってた。戦争を始めたのは神様なんだって。でも、神様が戦争を始めたなんて思えないわ。私は、神様は馬鹿な大人が喧嘩をいつやめるのかしらって、戦争をいつやめるのかしらって、我慢強く待ってるんだと思う。そうでしょう、たねもりさん?」
それから、その女の子はもう一言話してもいいか尋ねた。子供らしい無邪気さで、隣に座る母親を見つめてこう言った。
「お母さんとお父さんが喧嘩をやめてくれたらなあ・・・。」


私は感動してしまった。これ以上、私が言うべきことがあるだろうか。時計を見ると、まだ10分前後残り時間があった。私はひざまずいて、感謝の気持ちで二人の女の子の手を取った。そして、全ての大人たちがもう一度この子供達のような純真さを取り戻せれば、と祈った。おそらく、私達大人は子供達の無邪気さがどんなものだったか忘れてしまったのかもしれない。もし大人が、自分自身の中にある子供の部分を思い出せば、世界はもっと平和な場所になるに違いないだろう。

だから私は思うのだ。
「子供らは 世界みんなの 宝もの」だと。