あの日以来、私は意識して佐津子を避けていた。彼女に別れの言葉を求めることは、全く期待していなかった。驚くことに祖父母の境は、私の新たな決意を好意的に受け止めていた。祖父は、私が裕福になって帰ってくることを誓う限り、私の成功を祈ってくれているようだった。それは私の考えていたことでもあった。10年アメリカで稼げば、裕福で力のある人間になって帰ってくることもできるだろうと。一方祖母の唯一の望みは、私が白人の宗教を信仰しないでほしいということだった。キリスト教徒が両親を殺したのだから、これは守り通すことができる約束に思えた。


出発の時期が差し迫ってきたので、私は勇気を奮い立たせ、村田先生を訪ねた。先生は私が移民を決意したことに驚いていたが、頑張っていけと激励してくれた。私の肩を抱き、目の奥をじっと見つめて、こう忠告してくれた。
「強くなれ! 君の心のままに生きていけ。どんなに君の人生が困難になろうとも、君の両親の教えを決して忘れてはいけないよ。君の冒険話を聞くのを楽しみにしている。必ず戻ってくると約束してくれ。」


私が日本を旅立つ前に会わなければならない人は、仲村先生だけだった。私は仲村先生との別れがつらくて、出発の直前までお別れを言うのを先延ばしにしていたのだ。私たちは、川辺の2人だけの秘密の場所で会った。彼女はとても美しかった。私は恥ずかしくて、神戸で私の身に何があったのかを彼女に明かすことは出来なかったが、彼女は何かとても大変なことがあったことを、なぜだか気づいているようだった。


もしかしたら、これから10年会えないかもしれないという事実を前に、私たちはお互い身の引き裂かれるような思いを抱いていた。私たちは川岸のやわらかい草の上で、お互いの腕の中にうずくまり、夏のさわやかな青空をゆったりと流れる白い雲を見ていた。色とりどりの花の中を蝶がひらひらと飛んでいた。2人が抱き合っている間に、私は2匹の色鮮やかな赤とんぼを見つけた。まるで私たちのようだと思い、先生にとんぼを指差して教えた。その時、私の顔は真っ赤になり、彼女も同じように顔を赤らめた。柔らかな風が彼女のシルクのような髪を揺らしていた。彼女の輝くような白い肌に対して、髪は漆を塗ったように黒くてつややかだった。私は彼女の編んだ髪をかき分けて、彼女のきらきら輝く目をじっと見つめた。
「あなたを信じてるわ、貴士くん。」
彼女はささやき、こう続けた。
「私はあなたが強く生き抜いていくことを、そしてあなた自身のうちにある弱さに決して負ける人ではないことを知っているのよ。」
私は、腕の中の彼女の体の振動とぬくもりを感じ、薄いブラウスの中の彼女の胸が大きくなったり小さくなったりするのを感じていた。そして彼女はこう尋ねた。
「貴士くん、私のことをこれからも忘れずに思っていてくれる?」
「先生・・・。先生、僕は強くなるよ。でも僕は行ってしまう。ああ、先生にアメリカに一緒に来てほしいと言えたなら・・・。」
「貴士くん、何も言わなくていいのよ。」
彼女のやわらかい声も、気持ちが高ぶり震えていた。そして涙で目を潤ませ、私の手を取って彼女の胸の上に乗せた。私は息をすることができなかった。指先で彼女の唇にそっと触れると、まるでつぼみを開き始めた花のように、信じられないほど柔らかく魅力的だった。私はもう自分の感情を抑えることができなくなり、彼女の胸に顔をうずめた。彼女の鼓動を感じ、彼女の息がエネルギーに満ちていく様子を感じていた。彼女が私を強く抱きしめていたので、私は彼女の魂の奥深くに引き寄せられたような感覚を覚えた。そして私たちは何度も何度もお互いの唇を求め合った。純粋に、絶望的に激しく、私は自分が何をしているのか分からないほど無我夢中だった。私たちの心はまるで春の日のバラのように広がり、私は時間と空間の感覚を失っていた。我を忘れ、私は彼女の頬に触れ、きらきら輝く目を見つめた。彼女の美しい頬は、夕日の光を浴びて濃い赤色に染まり、心の中を映し出しているかのような表情をたたえていた。