ミネソタの冬の非常な風は厳しさを増し、耐え難くなってきた。たとえ明日仕事がもらえても、2月1日までに誰が私に300ドルもくれるだろうか。私は土のない場所に根付いた野生の花のような気分だった。完全に打ちのめされたように感じた。神のご加護が必要な時だというのに、どうして神は私を助けてくれないのだろうか。私はどうにもできない状況に苛立ち、信頼し切っていた神に喧嘩を売っていた。


何とか答えを探すために、私は学生寮の地階へ向かった。私の祈りが暗い倉庫から届くかどうかは定かではなかった。ちょこちょこと動き回るネズミだけが私の心臓の鼓動を聞いていた。私の内なる神の声は、私の傷ついた心を癒してくれるどころか、私の期待を裏切った。私は、自分がまるであの自殺の名所の華厳の滝に立っているかのように感じた。唯一の頼みの綱は、サンフランシスコにあるバプテスト派の青年部からの便りだった。彼らは、小遣いとして月30ドルを送るという約束をしてくれたのだった。しかし、10月に小切手一枚を受け取って以来、何の音沙汰もなかった。


ここ3日間、私は断食をして神の姿を探し求め、神がご自身の言葉や約束に誠実であった下さるよう願った。“溺れる者は藁をもつかむ”心境だった。そして私はぼんやりとある声を聞いた。「あなたの持っている信仰を、神の御前で保ちなさい。」


嵐が窓を叩く音で私は目覚め、ベッドから飛び起きた。そして冷たい床に立って、ぼんやりと今日の日付を見た。1月31日だった。私は自分の荷物をまとめ始めた。それは、スーツケースとダッフルバッグに十分入る量だった。明日から何をするのか見当もつかなかった。私は悲しまないように決め、最後になると思われる授業に出席した。礼拝の時間が終わると習慣的に郵便受けを確かめたが、そこには埃とくもの巣があるばかりだった。ただ一つ選択肢が残されていた。私は、あのいかめしい教務課職員の勝ち誇った笑みを心に思い浮かべた。


ダッフルバッグに荷造りをしたが、何も変化がなかった。目に見える変化は、雪に残った私の足跡が新雪に覆われてすぐに見えなくなってしまったことだけだった。私はクラスメートのラッセルとドナルドに誘われ、キャンパスの食堂“リトル・ディッパー”で最後になるであろう夕食をとった。彼らは私達の部屋をカーテンで2つに仕切り、そのカーテンの向こうで家族が送ってきたクッキーを私にはひとかけらもくれることなく食べる人間だった。
「君の出発を祝おうぜ。これで誰かが君の部屋に入れるのだからな。次のルームメイトは中国人かもな。」
私はしぶしぶ誘いに応じた。郵便受けの前を通り過ぎた時、ラッセルが言った。
「おい、タネモリ、ちょっと来いよ。お前のところに何か入っているぜ。」
「きっと僕のじゃないよ。」
「ちょっと見てみても損はないぜ。」
ドナルドが賛成した。私は彼らが冷酷にもからかっているのだと思った。
「ほら、タネモリ。」
ラッセルが郵便受けから手紙を取り出して私に手渡した。
「ほら、君への手紙だって言ったろ?」
私は自分の目が信じられなかった。その手紙はカリフォルニア州フレズノからで、“速達航空便”というスタンプが押してあった。それは、間違いなくフレズノのレオナルド・ホッチンス氏からだった。