仲村先生がこんなにも深く私の魂を揺さぶったことに気づく人は、誰もいなかった。村田先生や佐津子でさえ。彼女はあらゆる危険を冒して私を愛し、私に愛とは何かを教えてくれた。彼女が“あはれ”と呼ぶ、心からの教えの中で、他人に共感することや、他人への思いやりを教えてくれた。彼女の腕の中で、私は男と女の間で分かち合うある種の特別な感情を知った。他の人間の鼓動に触れ、また触れられることが何を意味し、愛のためにあらゆる危険を冒すことの訳を彼女から教わった。


仲村先生は、人は“あはれ”を受容する潜在的な力を備えていることも教えてくれた。“あはれ”は、喜びや人生の不思議さに心を開くことを意味すると同時に、すべてのものは移ろい、やがて消えてなくなることを強く意識しておくことを意味すると、注意深く説明してくれた。“あはれ”は人生の厳粛さを意味し、存在するすべてのものと私たちを繋ぐものなのだと。彼女は思いやりの種を私の心に植え、彼女の心をも私に与えてくれた。私が先生の言うことをよく理解できない時には、こう言ってくれた。
「貴士くん、気にしなくていいのよ。“あはれ”の本当の意味は簡単には分からないものなの。それは生きていくことを通じてこそ、体験できることなの。」
彼女は続けた。
「貴士くん、先生がいつもいつも一緒にいてあげますよ。私の心と魂は、貴士くんと共にアメリカに行くわ。あなたは決して一人じゃないのよ。」

旅立ちの日は、1956年6月21日だった。今まで日本は私にとってはずっと敵のようなものだった。しかしそれでもここは私のふるさとなのだ。いよいよさよならを言う時が来た。また会う日まで! 私は東京の羽田空港の滑走路に待機しているDC10に乗り込んだ。父の墓の前で涙ながらに別れを告げたので、私の目はまだ真っ赤に膨れ上がっていた。私はなぜ生まれ故郷を離れるのかを分かってくれるよう、父に許しを請うた。そして、裕福になって名声を得て帰ってくること、どんなに困難であっても父の死の復讐をすることを父に固く誓った。


飛行機は揺れ、まるで翼が落ちてしまうようかのようだった。そして突然、飛行機の頭は空に向かって飛び立った。その瞬間、私に心のやすらぎがもたらされた。見渡す限り空はどこまでも青く、宇宙の果てまで私を連れて行くかのようだった。私は永遠を感じた。飛行機は街の上空を大きく旋回した。最後に私は機上から富士山を一目見た。気高さと美しさ、そして真の栄光の中に存在する日本の強さのシンボルとして、堂々とたたずむ富士山。その荘厳な光景をこれから先10年間忘れずに覚えていられるように、私の心に焼き付けたいと思った。


私の日本での人生は終わりを告げた。私はまだ見ぬ未知の世界へと飛び立ったのだ。さよなら、富士山! 僕のために、どうか仲村先生をお見守りください! 飛行機は富士山から、そして海に描かれたエメラルドの集まりのような日本列島から離れ、片側に旋回した。それはまるで、日本が私の視野から消え去ったように感じられた。私はひざの上に置かれた日記帳に目を落とした。そしてペンを握ると、涙でしみができたページに言葉を書いた。


錦を飾るまで帰るな!

私は未知の世界に大きく飛んだのだ!

そして最後に太字で言葉を書き記した。

『復讐!』


それを私はページいっぱいに書きつけた。私は背水の陣をしいたのだ。父の思い出と仲村先生との思い出を除いて。これらの思い出は、私が故郷に帰るまで消えずにいてくれるだろうか? 私は日記を閉じ、目を閉じた。日本での人生の章を終えて、新たな章を始めようとしていた。あの富士山の光景は、私の心にしっかりと刻まれていた。