佐津子が家に泊めてはくれないだろうと分かっていながら、私は仕事と寝泊りする場所を得るために、祖母のトメのところに行った。ちょうど田植えの時期で、彼らが人手を必要としていることを知っていたのだ。私は長年、祖母を鬼のように恐ろしい人だと思ってきたが、彼女の悪意は実は個人的なものではないことが分かり始めていた。彼女はただ性格的に、他人が助けを求めていることが彼女自身の興味と関係ない場合には、共感することができないだけなのだ。この度は、祖母たちは私を受け入れた。私は秘かに次の動きを待った。


数ヵ月後、佐津子の家の前に、長くて黒いキャデラックがやってきた。長身で赤い髪をしたアメリカ人が後ろの席からひょっこり出てきた時、その衝撃は村中に瞬く間に広まった。村人たちは、彼の周りにハエのように群がった。ほとんどの人たちは、その時まで白人を見たことがなかったのだ。彼の身長は185㎝はあるようで、まるで他の惑星から来た巨人のように見え、一方村人たちはまるでバッタのようだった。村の長老たちは群集の前へと押し進み、この赤い髪をした異邦人が何をするのかを見ようと待ち構えていた。


そのアメリカ人が私の家にやってきた時、私は玄関の戸を開けた。私は一段高い玄関先に立っていたにもかかわらず、私たちの目線は同じ高さだった。佐津子は一歩下がったところにいた。アメリカ人は、私のパスポートの写真を見て私だと認め、まるで知り合いのような態度を示した。
「貴士、何してるの? 恥ってものはないの? どうしてこの外人をうちに連れてきたの? 私に隠れて何をしてきたの?」
佐津子は即座に憤慨して私のほうを見た。そのアメリカ人のお抱え運転手は日本人で、佐津子に自分のこととそのアメリカ人のことを紹介し、丁寧に挨拶をしたので、私はかなり驚いた。彼は心を落ち着け、何度も佐津子におわびをした後、私たちを訪ねた訳を説明し始めた。
「ちょっと待ってください。私に説明させてください。」
私は慌てて叫び、彼が話すのを止めさせた。こんなやり方は、重大発表をするのにふさわしくない!私は佐津子と面と向かい、こう尋ねた。
「姉ちゃん、何度僕に向かって出て行けって、そうすれば平穏に生きていくことができるのにって言ったんだ? 姉ちゃんは僕を少年院に入れようとさえしたんだ。今が姉ちゃんの願いを叶えるチャンスだ。もう二度と僕に会わなくて済むんだ。僕がいることで恥ずかしい思いをすることも、もうない。」
そして、周りにいた村人たちの方を見た。
「あなた方はもう、紙袋の中の猫のように僕を蹴飛ばすこともできない。僕ははるか遠くのアメリカに行くんだ。」
アメリカだと?」
佐津子は悲鳴を上げた。長年彼女の内にあった憎しみや怒りが爆発をし、榴散弾のように全方向に飛び散った。大男はしり込みをして小さな運転手の影に隠れてしまった。彼女は、私の自滅的とも言えるアメリカ行きを到底受け入れるはずがなかった。彼女は運転手を押しのけて巨人の前に立ちはだかり、外人の顔を指差しながら横に振った。
「貴士、いったいどうしたって言うの? どうして敵地のアメリカに行くことが出来るって言うの? 私たちの両親を殺し、私たちの人生をめちゃくちゃにしたアメリカに行くなんて。お父さんが生きていたら、そんなばかなことを許すと思ってるの? 本当にきちがいになったんじゃないの?」
彼女は全身が震え始めていた。
「そんなばかげた決断をすることができるわけないでしょ? 貴士は胤森家の跡継ぎなのよ。そんな不名誉な汚点を胤森家の歴史に刻むくらいなら、お前なんか死んだほうがましよ!」
彼女はそう私に言い放った。私は彼女をさっと交わし、玄関から通りに躍り出た。近所の人々は私の周りを囲んで、方々から叫んだ。
「お前が私たちの同士でないことは前々から知ってはいたさ。しかし、これはあまりにもひどすぎる。早く遠くへ行ってしまえ! お前の裏切りは常軌を逸している。それより、我々の憎むアメリカ人をどうして連れてきたんだ。」
私は握りこぶしを上げて叫んだ。
「どうしてあなた方が、僕がアメリカに行くことなど気にするんですか? 今まで一度も気にかけたことなどなかったくせに。あなた方こそが僕を裏切り続けたんでしょう? 何か犯罪が起こると、いつも僕を疑って真実を突き止めようとはしなかった。僕が喉が渇いていた時、あなた方の中で誰が僕に水をくれたというのですか? お腹がすいていた時、誰か僕に食べ物をくれましたか? 自分が魚を食べて骨までしゃぶった後に、僕に魚の骨を投げつけたのは誰ですか? 僕たちの畑に石を投げ、大事に育てたサツマイモを盗んだのは誰ですか?」
村人たちはやれやれといった具合に首を振り、家路に着いた。誰かが佐津子に塩の塊を渡し、彼女は塩をふんだんに玄関に撒き散らし、外人にも投げつけていた。そして、さげすみの極致の行動として、私につばを吐き、大またで家に入ると、障子をぴしゃりと閉めた。


私は今までにないほど固く決心をし、アメリカ人の方に向かい、正式な書類にサインした。面白いことに、この見上げるほどの巨人は明らかに取り乱して汗をかき、小柄な運転手は額の汗をハンカチで拭いていた。私は何ともないように振る舞っていたが、内心は不安でいっぱいだった。佐津子のあの無礼な行為によって、アメリカ政府が私を受け入れないという可能性もないわけではなかった。それに、私の自殺未遂の件が暴露される可能性だった十分にありえた。そんなことになったらどうしたらいいのか、全くわからない。この時の私にとっては、私の内にある恥ずかしさや傷つきやすさが他の人に分かってしまうよりも、怒り狂った反逆者として見られる方がはるかに都合がよかった。