身体は衰弱していき、生きながら死んでいるのか、死んでいながら生きているのか分からないまま、死神のように歩いていた。かつて豊かな田んぼが広がっていたこの川沿いの土地は、今や爆風で不毛の地となっていた。私達は、黒焦げになったでこぼこの野原をよろめきながら歩いているやせ衰えた人々の列に加わった。皆疲れきってため息をつきながら、ぎこちない足取りで歩いていた。


父は私をおぶっていた。父は乾燥した死体にほんの一瞬つまづいた。幼い少女が、母親を死の夢から起こそうとしてしゃがみこんでいた。祖父が父に、私を抱き上げ集団に戻るよう促した。死神のような集団は、一つの目的地へと引きつけられて歩き続けた。歴史の現実から、苦痛から、ひどい喉の渇きから逃れるために・・・。さあ、もう一歩、もう一歩。次の一歩を邪魔するのは死だけだ。


明るい日差しの隙間から黒いハエが出てきて、私達の傷口の血や膿に群がってきた。私はハエをぴしゃりと叩いたが、それくらいでは追い払えなかった。ハエは私たちにたかり、大胆に食べていた。半分ほど払い落とせた時、ハエたちは堪能したかのように飛び立っていった。


農家の集落に近づくと、哀れな集団の至る所で興奮とざわめきが起こった。皆で協力してテントを張り、農民は奉仕の行為に打ち込んだ。彼らは温かい食料やお茶、そして薬を配った。生き残った人の多くは地面に座って休み、お茶をすすった。他の者は、食べ物と治療を受けるために長い列に並んでいた。医者はたった一人で、一人でも多くの命を救うために我が身をかえりみずに治療をしていた。いつの間にか彼の白衣は、血のしま模様になっていた。彼は危険な状態にある人々を助けた。数人の看護婦さんたちは、帽子で見分けがついた。彼女らは、誰を一番に治療しなければならないかを診て回った。その場で処置できるのか、もはや死を待つだけなのかを判断するのに果てしなく走り続けていた。親切な年配の救護員の一人が、風雨にさらされた顔で犠牲者に言った。
「大変申し訳ありません。私達にはもうこれ以上はできません。私達はただの農民なのです。」


それでも父は忍耐強く待ち、治療を受けられる列へと私を進めた。ついに私の番が来た。看護婦さんは優しい手で、私の頭皮から大きなガラスの破片を引き抜き、温かいお湯で傷口を洗ってくれた。火傷の上には、痛みを和らげるためにきゅうりの汁を絞り出してくれた。きゅうりは、手に入れることのできる唯一の薬だった。食べ物を配る人が、私に温かいお茶と小さいおにぎりと大根の漬物を手渡してくれた。やっとの思いで味わう食べ物の味は、新鮮でえもいわれぬおいしさだった。


私達は、納屋の外に散らかった藁の上に落ち着くことにした。広島は遠くで明るく燃え続け、夜の闇が訪れることはなかった。私は目を閉じて再び悪夢を見た。痛めつけられ、傷つけられた体が肘で突かれて川へ落とされている・・・。焼けただれた皮膚が体からぶら下がり、生きている幽霊のように私の後を追ってくる・・・。


私は父の腕の中にいた。その夜は、火葬用の薪の山に点いている火の「しゅー」という音に度々目を覚まし、あまり眠れなかった。防護服で身を包んだ救助員は、静かに死者を探し出した。彼らは死体を藁の上にピラッミッド状にきれいに積み重ね、気が変になりそうになりながらも、松明で点火した。死体が燃える臭いは、私達のつかの間の安らかさを脅かした。その夜、死の天使たちがたくさんの人々を迎えに来た。


翌朝、私は耐え難い苦痛に気づいた。私の火傷はより熱を増して、ひりひりと火照っていた。濃い黄色の悪臭のする膿が、私の腕からしみ出ていた。私はそのために熱を出し、悪寒がしていた。父は午後遅くには矢口駅に到着できるだろうと言った。汽車に乗って、母方の祖母が住んでいる紅葉村へ行くのだ。私達は再び群集の中に入って行った。


死神の行列は無言で歩き続けた。そしてやっと汽車の黒い煙を見つけることができた。矢口駅では、三台の汽車が別々の線路上に置かれていた。汽車の客席の窓は、爆風で吹き飛ばされていた。粉々に割れたガラスが、通路や座席に散らばっていた。