spi0208152005-02-14


月曜日に学校に行くと、私のしたことはみんなに知れ渡っていた。弱いものいじめをする者たちからからかわれ、侮辱的なあざけりを受けた。
「ああ、何てかわいそうな親なし子、お世話をしてあげようか? かわいそうに、誰も面倒を見てくれる人はいないのかい?」
「畜生!」
彼らは私に唾を吐きかけた。手に怪我をしていたにもかかわらず、私は彼らに向かっていき、握りこぶしを振り回していた。


私の4年生の担任だった橋本先生が、けんかを止めてくれた。以前から先生は、私をいじめる子供たちから守ってくれた。先生は桃色の頬をした、この上なく素晴らしい博多人形のようで、輝く黒い瞳は魂の美しさを映していた。彼女の微笑みは、美しいひまわりの花のようだった。先生は色々なやり方で、私への思いやりを示してくれた。先生は私にとって一筋の太陽の光のようだった。時には体の具合が悪いふりをして、私にお弁当をわけてくれた。またある時は、
「貴士くん、先生はお腹がいっぱいだから、手伝ってもらえないかしら? 母はお弁当を残して持って帰ってくるのをひどく嫌がるの。残った分を食べてもらえない?」
などと言ったりした。


あの出来事のあった次の土曜日の午後、先生は私を自分の家に招待してくれた。そこで私は、先生の両親とお兄さんから暖かく迎えられた。先生の家庭は裕福で、その地で尊敬されている地主さんだった。家はお城のようで、谷を見下ろす丘のてっぺんに建っていた。先生がどうして私にこんなに優しくしてくれるのか、またどうして自分の社会的地位や家族の体面を危険にさらすのか、私には理解できなかった。


先生は夕食前にお風呂を用意してくれた。私は喜んで先生についてお風呂場に入った。ああ・・・熱いお風呂のお湯の香りとその美しさといったら・・・! 祖母が胤森家の子供たちにお風呂を使わせてくれるのは、彼女の家族全員が使った後のお湯だった。そのお湯はいつも生ぬるく、薄汚れていたのだ。
「貴士くん、どうやったらこんなに上手に汚せるの?」
と先生はふざけて言った。私はかなり長い間お風呂に入っていなかったので、多分ひどく臭っていた。先生はためらうことなく、まるで母親のようにただひたすら頭のてっぺんからつま先まできれいに洗ってくれた。私がまだ濡れて石鹸だらけにもかかわらず、先生は私をすっぽり大きく暖かく抱きしめてくれた。その時、先生の体が震えているのがわかった。笑っているからなのか、泣いているからなのかはわからなかった。父が死んで以来、こんな優しさを感じたことはなかった。私もまた涙をおさえることはできなかった。なぜなら誰かが本当に私のことを気にかけて愛してくれたからだ。
「貴士くん、あなたは泣かなくていいのよ。先生が一緒にいるんだから。」
その言葉を聞いて、私はもっと激しく大声で泣き始めてしまった。先生が再び胸に私を抱きしめてくれた時、私のかすかな記憶の中から母のぬくもりを思い出すことができた。ああ、先生がお母さんだったらどんなに素敵なことだろう。
「さあ、早くお湯につかりなさい。」
先生は私を風呂桶に入れ、好きなだけ長くお湯につかっているように言った。先生が出て行くと、私はお湯をバシャバシャ撒き散らしたり、石鹸で泡を作って吹き飛ばしたり、他の小さな子供たちと同じように遊んだ。


お風呂から上がると、先生は私に浴衣を持ってきてくれた。私は自分自身の変わりようが信じられなかった。汚れなど全くない、輝くほどに美しい少年になっていたのだ。ああ、何て素晴らしいことだ!


その晩の夕食は大ご馳走のようだった。焼き魚と大根の煮物、菜っ葉のお漬物や二十日大根などがお皿から溢れていた。私が白いご飯を4杯も食べているのを見て、先生が涙を浮かべていたことに私は気づいていた。