1945年8月6日の致命的な原爆投下から4週間が過ぎたこの日、父は私を傍らへ呼び寄せた。父の目に再び灯りが灯り、父の声は力強くなった。父は私の手を取りこう言った。
「貴士、お前にわかってほしい。私がお母さんと一緒になるにはたった1つしか方法がない。私はもう少ししたらそこに行くつもりだ。」
父の言葉は侍の刀のように私を突き刺した。
「貴士、これが私からの最後の教えだ。お前は胤森家の長男だ。誇りと気高さをもって、自分の責任を果たしなさい。侍の7つの教えに従って生きていくことを約束してくれ。そして私がそうしてきたように、お前の子供達に1つずつ教えていくのだ。」
父は深呼吸をした。
「何があっても胤森の名に泥を塗ったり汚したりしてはならない。」
「お父さん・・・。」
「お前の心全部で私の話を聞いてほしい。」
父の声は、ロウソクが最後の瞬間に明るく灯るように、さらに力強くエネルギーに満ちてきた。
「貴士、最高の勝利は自分自身の弱さに打ち勝つことだ。他人に打ち勝つことではない。お前はいつも自分自身に対して正直でなければならない。約束をしたら、いつも自分の言葉を実行するようにしなさい。たとえ自分を犠牲にしても・・・。お前の言葉が巨大な一枚岩だということがわかるように。」
父はもっと近くに来るように言った。
「貴士、結果がどうであろうと、いつも本当のことを言いなさい。本当のことをいうことは、複雑な嘘を作り上げるより簡単なことだ。」
父は、私の魂の奥深くまで突き通すような視線を私に投げかけた。
「そうすれば、お前が言った言葉はお前と同じように信用がおけることを、周りの人たちにわかってもらえるだろう。」
「お父さん、お水を持ってきましょうか?」
父は明らかにやっとのことで言葉を発していた。
「お前が人の行いや動機を判断する前に、鏡で自分自身を見なさい。心の奥深くを。お前はよく考えなければならない。その人にはおそらくお前が知らないような、まだ表に表れていない理由や避けたい状況があって、そのことでためらっているのかもしれない。それぞれの人の良いところを見なさい。そして、お前の周りにある美しいものを見つけなさい。」
私は父の姿を思い出した。父が町内の役員をしていた時、決して怒ったり、近所の人たちに批判的な意見をしたことはなかった。時に父は偏屈で変わり者に見られていたが、近所の人が誰一人父に後ろ指を指さなかったのは、父の言動がいつも一致していたからだった。
「貴士、お父さんは疲れてきた。一息つかせてくれ。」
父は少しの間目を閉じ、それから喉をすっきりさせるようにもう一度深呼吸をした。
「十分なものを惜しみなく捧げることは素晴らしい。しかし、自分自身も必要なものを他の人に惜しみなく捧げることは、信念に基づく行為だ。そしてそれが本当に与えるということだ。胤森はいつも他人に心から与え、また分かち合うのだ。」
母が私のアルミニウム製の弁当箱を兵隊さんに差し出した時のことを、どうして忘れることができるだろう。また、小さな女の子を連れたお母さんが玄関にいた時、父は何か用事があったにもかかわらず、時間をかけてその人の話を聞いていた。父が女の子とお母さんに何かをあげたかどうか覚えていないが、形がないものであっても、唯一の贈り物は「自分自身を捧げる」・・・そのようなことだった。


父が本当に伝えたかったことは、その後何十年も経なければ本当に理解することができなかったが、父の真実の教えは私の魂をしっかりつかんでいたのだった。
「時間は貴重だ。一瞬一瞬を懸命に使いなさい。決して時間を無駄にしたり軽く扱ってはいけない。一瞬一瞬、またお前が息をする瞬間瞬間にも時は過ぎ去り、再び取り戻すことはできないのだ。もう一度言う。“時間は贈り物だ”ということを理解しなさい。
これが、父が何かをする時に必ず時間を守った理由だったのだろうかと思った。父は何か不意の出来事がない限り、いつも時計のように正確に仕事から帰ってきていた。