1、2週間たった頃、佐津子は私に起こった変化を信じられずにいた。私はここ何年かで初めて耳の掃除をし、爪を切り、髪を丹念にすいた。洗濯したハンカチを上着のポケットに入れ、制服のズボンを布団の下で寝押しするようになった。不良のような行いもやめた。私は変わった。しかし佐津子と村人たちは、それでも私の誠実さに容易ならぬ疑いを持っていた。弁論大会に勝ったことさえ、私に対する見方を変えることはできなかった。彼らは私の態度の変化は表面的なものだけだと考えていた。仲村先生という優しさと哀れみの美しい女神が私の心に触れたということを、彼らは知らなかった。


弁論大会から2週間くらいたったある日の午後、私は校長室に呼び出された。その日は2度目だった。私は学校での嫌な出来事のために、授業を抜け出しては何度も何度も校長先生に呼び出されていた。
「胤森、今度は何をしたんだ。仕方ない奴だ、早く行って来い。」
教室中がニヤニヤした顔でいっぱいだった時、村田先生が嘆きながら言った。校長室に行くと、私と話したがっている人がいると受話器を渡された。私は驚き、ためらった。これまでたった2度しか電話で話したことがなかった私は、どれくらいの声の大きさで話せばいいのか分からなかった。
「もしもし、胤森です。」
私は小さな声で言った。まるで蚊の羽音のようだった。
「胤森くん?」
女性のはずんだ声! すぐに仲村先生だと気づいた。彼女は自分の生徒たちと出かけないかと、私を誘うために電話してきたのだ。私は校長室を後にした。校長先生は陽気に私の肩を抱いてくれた。教室に戻ってくる間、私は宙を歩いているようで、笑顔が輝いていた。村田先生と同級生たちは、私がついに狂ってしまったと思っていたに違いない。


次の土曜日、私は家を出る時、佐津子に帰りが遅くなることを伝えた。彼女はいらいらしていた。この時期は、村の全員が田植えのための手伝いに追われる時期だったのだ。1人は全体に従う、村全体のためになるようにするというのが、この村での正しい倫理だった。村人にとって各々の身分、土地、階級の責任を満たすことを要求することが、村全体のために重要なことであり、それが調和の取れた関係を維持し、村全体の連帯感を強めるための方法なのだ。私の行動は、村の合意やおきてを無視することになる。佐津子は、私の不良友達に何があろうとも、自分や弟の貞義と祖母トメの田んぼで手伝うよう訴えた。


どうして佐津子に本当のことが言えただろう。仲村先生と会うことは、私のかけがえのない秘密だった。学校が終わりボロボロのバスに揺られながら、仲村先生は私の中にどんな良さを見出してくれたのだろうと考えていた。本当の私を知ることになっても、彼女は好きでいてくれるだろうか? 私は突然、彼女の柔らかな曲線や優しく触れ合ったことの記憶を思い出して熱くなった。
「胤森くん!」
彼女の出迎えの声は、私の緊張の糸をほぐしてくれた。私が求めていたものだった。彼女は3人の生徒と一緒にバス停で待っていてくれた。男子2人と女子1人の生徒は、服は清潔できれいにしわを伸ばしてあったが、靴が擦り切れて古いことにすぐ気がついた。その日は、私達全員にとってとても楽しい日になるとわかった。


仲村先生は、バスで五竜城という高台に連れて行ってくれた。五竜城は、徳川将軍によって立てられた城跡が残っているところだった。高台からの景色は壮大だった。崖から見渡すと2つの川が合流していて、城を守る堀として機能していたのがわかった。私は城壁の向こうを見つめながら、自分が将軍になって全てを支配しているのを想像した。


仲村先生は、私達4人に無理に話をさせようとはしなかった。むしろ私達が自然にお互いを発見できるようにして、時々先生が間に入ってくれた。すぐに4人は緊張がほぐれて楽しくなってきた。その後、川の反対側の村に下りていき、町をぶらぶらしながら楽しんだ。井戸端会議もなく、裁く人もなく、人々が何を考えているのかを気にすることもなく、私は蝶が青空を舞うような本当の自由を感じ始めていた。他の子達も同じように感じているようだった。私達は全員で川に下りていき、水を跳ね上げたり石を投げたりしながら自然にクスクス笑い合っていた。原爆が落ちる前に広島で友達と遊んで以来、こんなに腹を抱えて笑った出来事はなかった。仲村先生もスカートの裾を上げて、一緒になって遊んだ。私達はまるで幸せな子供のようだった。


悲しいことに別れる時間がとうとうやって来て、バス停まで歩き出した。先生と私は指切りをして、またすぐ会う約束をした。私達の指が触れた時、彼女の愛の温かさが私の手を通り抜けて心まで浸透するのを感じた。仲村先生は私の乗ったバスが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。彼女の姿は私の魂の奥底に焼きついた。


家に着くと、しかめっ面をした鬼のような佐津子に会った。
「貴士、何をしていたの? 不良友達といたんだね? 何回禁止したと思ってるの!」
彼女の抑え切れない声は、私の耳を突き抜けた。姉は私がどこにいたか知りたがっていた。姉に今日の喜びを話しても“豚に真珠”だろう。私はその日の思い出を、時が来るまで宝箱にしまっておくことにした。たった1回だけ、父の墓の前で話しただけだった。