原爆から3度目の秋が訪れる頃、私は光川さんという名前の心優しい女性の経営する床屋さんの中に、安全な場所を見つけた。とても親切なおばあちゃんで、私は彼女を“サツマイモおばあちゃん”と呼んでいた。それは彼女がお客さんの髪を洗ったり、切ったり、髭を剃ったりしている間、いつもサツマイモをふるまってくれていたからだ。


彼女のお店は、村の中で人が自然に集まってくる場所だった。特に寒い冬は、お客さんや近所の人たちが世間話や噂話をやりとりしながら、ダルマストーブの前でくつろいでいた。おばあちゃんは、私が身にしみる寒さから逃れて、ストーブの後ろの隅っこで昼寝をするのを許してくれた。横になってウトウトしていると、彼女はいつも口実を作っては、その芋がお客さんに出すには焦げすぎたからと私にくれたものだった。
「祖母のトメおばあちゃんが、このサツマイモおばちゃんのように親切にしてくれたらどんなにいいだろう。たとえそれがほんの少しの優しさでも、私の振る舞いは違ってくるのに・・・。」
と私はお芋を食べながら願っていた。お腹もいっぱいでホカホカと暖かい中で、私は噂話に耳を傾けながら、自分のサツマイモを育てることを夢見ていた。トメおばあちゃんは、紅葉村の周辺にたくだんの土地を持っていたにもかかわらず、胤森家の子供達がその土地のどこかを耕すことを決して許してくれなかった。


春も終わりに近づいたある日、佐津子と私は線路の脇に6m×14mくらいの見捨てられた区画の土地を見つけた。そこには大きく先のとがった岩や、木苺の群生でいっぱいだったが、土壌は耕すのには十分肥沃だった。私達はそこを自分達のものにすることにした。一瞬のうちに皮肉で奇抜な考えが閃いた。ここを“敗戦畑”と呼ぶことにしよう!


まるまる1週間、佐津子と私は草を抜き、岩や石を取り除くことにできるかぎりの時間を費やした。初めのうちは夢と希望がふくらみ楽しい仕事だったが、1週間が終わる頃には、私達の体は弓のように曲がり、両手は皮がむけて血が出ていた。最後の岩を取り除いた時、私は誇らしげに、
「胤森の名において、この土地は自分のものだ!」
と言いながら、その畑の周りを歩き回った。その夜はとても興奮して、ほとんど眠れなかった。明日の朝にはサツマイモを植えられるんだ!


しかし次の朝、私達が畑に着いてみると、ほとんどの岩が投げ戻されていた。私は犯人をきっと探し出すと誓いながら、涙にぬれて急に地面に倒れこんだ。自分がまるで、踏まれても踏まれてもじっと耐えている、踏みにじられた馬のしっぽのように思えた。立ち直ってからもう一度岩をどかして無事にサツマイモを植えるには、もう2、3日真剣に働かなければならなかった。


毎朝畑を見て回るのが、私の仕事だった。週に一度、畑を肥やすために肥料となる糞尿を運んだりした。最初はそこで、来る冬に私達が生き残るのをどれだけ助けてくれるのかを話しかけながら、優しく芋を育てていた。私は誇りさえ感じていた。しかし周りの子供達が、私が肥を運ぶのをからかい始めてからは、それが嫌になった。初めは名誉の象徴であったのに、すぐに恥の象徴になってしまったのだ。


嫌がらせを避けるために、他の子供達が家で寝ている夜の間に、肥の入った桶を運び始めた。ある月の出ていない夜、私は注意しながら足元を確かめるように道を選びながら小道を下っていった。でも、砂利に乗ってこけてしまった。肥の入った桶が頭のてっぺんから落ちてきて、中身はすっかり空っぽになった。私は肥まみれになり、冷たい川でそれを洗い流した。私は村全体を呪った。そして私は誓った。今後、他人の反応を恐れて自分の行動を変えたり、他人に合わせたりは決してしないと。それからは、肥の入った桶を挑戦的にも日中に運んだ。あざけりやからかいを無視して、町の中心部をふてぶてしく歩いていった。


サツマイモの収穫の時期が近づき、佐津子と私は段々と興奮が高まってきた。こんな親密な関係になることは、私達にとっては珍しいことだった。それは2人で家族のためにともに苦労しながら熱心に働いたことによって生まれたものだった。収穫の日の朝、千早子と貞義も袋やかごを持って私達と歩いていった。


畑に着いてみると、私達は声も出ずにただ呆然と立ち尽くした。貞義は泣き出した。私達のサツマイモが、夜のうちに1つ残らず盗まれていたのだ。私達の思い、労働、そして愛のすべてであるサツマイモを1つとして見ることができなかったのだ。私はバラバラに引き裂かれたようだった。いったい誰がこんなひどいことを・・・。