夏が過ぎ、木の葉のダンスが見られる秋になった。シエラ山脈が色とりどりに染まると、冬が近づいていることを教えてくれる。そんなある日の午後、ユーレカ・ノースウエスト材木会社のサム・ゴールドスティン氏から手紙が来た。内容は、日本に新しい木材製品を売り込み、収益増加を果たすために私に協力を求めるものだった。そこで業績を上げれば、私自身の出世の機会にもなるだろうと。


しばらく彼の申し出を考えた末分かったことは、日本とアメリカ両国の企業風土がいかに異なっているかということだった。カリフォルニア農林省の使者として数年間仕事をしてきた中で気づいたことは、長続きする関係を築くためにはお互いの文化の違いや特性への理解が重要だということだ。日本では、最良の価格や収益の大きさ以上に、“親交とお互いへの信頼”が重視される。それに対して彼が私を雇いたい理由は、合理的に収益を上げることだった。私は自分の中に違和感があった。自分の魂を見失うことなく、生き残らなければならない・・・。


ユダヤ人ビジネスマンの上司と一緒に働くことは、私の心を締め付けた。どんな手段を使ってでもお金を作るのみというやり方に、私は自分の命を縮めているのを感じていた。はや6週間が過ぎ、私は利益を出すための圧力を感じざるを得なくなった。
「トーマス! ジェフが言っているように、この2週間のうちに利益を生み出すビジネスを日本と結ばないと・・・わかったか!」


サムのドラ声は、廊下から爆弾が破裂したかのようだった。もちろん利益は作らなければ・・・、しかし私が望んでいたことは、貿易は利益だけではなく、1人1人の心のつながりを築くことによってより良い日本とアメリカの関係を作っていくということだった。私はこの2週間のうちに必ず日本とのビジネスを1つ作ると約束し、その代わり自分のやり方に一切口を出さないことと、私のオフィスに立ち入りを禁止することを条件にした。


約束の前の日、彼は気味の悪いほど軽く弾んだ声で、彼のオフィスに顔を出してもらえないかと声をかけてきた。副社長のジェフは、10枚くらいのFAXを持っていた。2週間前の彼とは全く別人のようだった。彼が持っていたFAXは、日本の7つの会社からで、その中の1つは大口の注文だった。それには、胤森さんと直接話をした後で、お互いに納得できればという条件がついていた。
「君が言っていたやり方を試してみたんだよ。今まで1度もしたことのないやり方だったが、もしこれが利益を作る1つの作戦なら試してみようと。君があれほど欲しがっていた紹介状を手当たり次第に日本の会社に送ったのだ。」


私が薦めた紹介状とは、カリフォルニア農林省を代表する文化コンサルタントとしての私の4年間の活躍を、州知事農林省が認めてくれているというものだった。そしてその私が日本の木材会社との新しい道を開く窓口となり、日本の皆様に豊かなアメリカ文化を提供できるのだと。