タカエおばちゃんが最後に胤森家について話してくれたのは、1945年の晩春だった。新緑が虹色に輝くある春の日、私たちは、宮島名物のもみじ饅頭を食べながらお茶を飲んだ。おばちゃんと話した思い出は、私の宝物だ。夏が来たら、はまぐりを捕りに行こうと約束していた。


子供がたくさんいる中、母は毎日秘かに仏陀に巡礼していたそうだ。母は座った仏陀の前にひれ伏して拝んだ。母は臨月に入っていて、村人から隠れることはもはや出来なかった。大きなお腹を抱えて、仏陀の前に堂々と座った母は、胸が張り裂けんばかりの思いを述べた。胤森家は神経質になっていた。父は、天照大神に心の底から懇願した。父は、胤森家が森林のように不朽に繁栄するようにと、熱心に祈った。


タカエおばちゃんは、まるで母がその場にいるかのように、感情を込めて話した。私は母が経験した苦悩を感じた。母が何を祈願していたのか想像がつき、私の心は破裂しそうだった。


1937年12月中旬、新年を迎える準備や大掃除で皆忙しくしていた。伝統的な日本の風習に従って、誰もがこの1年の間に犯した罪を償わなければならない。家中を掃除し、必要なくなったものは捨て、図書館から借りていた本は返却された。一番大事なのは、お歳暮の交換だった。友人、同僚、親類、目上の人、先生、隣人、恩人など、恩を受けていると感じている人になら誰にでも贈り物をした。


新年まであと15日。長い間待たれた瞬間が、胤森家にやってきた。その日が、祝福の日になるか、このまま呪いが続くかどうかが勝負だった。助産婦の浜さんが呼び出された。父は、万寿代を彼女の家まで迎えに行かせた。
「ごめんください、浜さん。」
万寿代は、正面玄関で呼んだ。浜さんは、こうなることを予想していなかった。彼女は、亡き夫に訴えた。
(あなた、私は胤森さんの家に行くべきではありませんよね。まだ、断る時間はあるし、助産婦は他にもいるのですから。)
彼女はつぶやいた。
(でも、誰が? 胤森さんは私を信頼しているのです。彼にまた娘ができれば、村人たちは何をするでしょう?)
(ナオコ、思い出しなさい。お前は3人の子供を最善を尽くして取り上げたんだ。結果を変えることはできない。彼らの信頼を裏切らないでほしい。)
(でも、また・・・だったら? 彼は、もし女の子だったら耐えられないでしょう。)
「浜さん!」
万寿代は、無邪気に大声で叫んだ。
「さあ、早く行きましょう。母上が待っておられます!」
浜さんは我に返った。
(たとえ噂が真実で、もし本当に仏陀に呪われているとしても、私に過失はない。胤森さんが私を当てにするのは無理もない。私は3人の子供を取り上げたのだから・・・。)


襲ってくる不安を振り払いながら、彼女は万寿代に挨拶をし、出産道具の入ったかばんを取り出すと、通りへ出て行った。カンユ通りの角を曲がると、浜さんはわざと歩みを遅くした。周りの目が自分と万寿代に向けられているのを、はっきりと感じた。彼女は、通りをきょろきょろ覗き見している野田さんを捕まえた。野田さんは、自治会の有名な密告者だった。浜さんは、「あっちへ行きなさい。おせっかい者!」と言って、痩せた指を彼女に向けた。しかし、村人たちはすでに胤森家の周りに集まっていた。


父が浜さんを玄関で迎えた時、隣の部屋から陣痛で苦しんでいる母の声が聞こえた。赤ん坊は頭が下に向き、いい位置にいた。陣痛の間隔が短く激しくなったが、またおさまり、浜さんは心配になってきた。4人目の子供にしては、産むのに時間がかかりすぎていた。もっと力むように母を励ました。母は、金切り声を上げ始めた。
「男の子を・・・。死ぬーっ!」
そして遂に、仏陀へのけたたましい叫び声とともに、赤ん坊が生まれた。隣の部屋では、生まれたての赤ん坊の元気な泣き声に、父が落ち着かず興奮し、行ったりきたり歩き回っていた。父は、息を殺した。まるで永遠に時が止まったようだった。運命の瞬間! 助産婦は身の縮む思いで、震えながら赤ん坊を掲げた。
「芳子さん、見なさい! 男の子です! おめでとうございます!」


父が部屋に突入してきて、一番最初に私を抱き上げると、涙を浮かべながら私をあやした。3人の姉たちも、新しい弟を覗き見に、部屋に入ってきた。父の顔は、彼女らが今までに見たこともないような喜びにあふれていた。父は、身体をゆすって赤ん坊をあやしながら、母のそばにひざまずいた。
「あなた。」
母の声は震えていた。
仏陀は、私たちに微笑みましたね。」
仏陀の呪いが解かれた。父は、喜びと感謝とともに、天照大神の祭壇へ私を捧げた。神は、生まれたての息子を胤森家の後継ぎとして迎えた。そして当てがはずれてしかめ面をしている村人たちを追い払った。