助産婦の浜さんは、この村のリーダーに高く評価され、推薦された人だった。もちろん、今回が彼女にとって胤森家の出産に関わる初めてのことだった。彼女は自信を持って父に話しかけた。
「胤森さん、子供も母体も元気です。お祝いさせて下さい。子供さんは母親に似て、美しい娘さんに成長するでしょう! そしていつか、たくさんの男の子を生む女性に成長しますよ。」


それは、父の心を和らげるための慰めだった。彼女が持ち物を整理して家を出る前に、父は震える手で、一杯のお茶を差し出した。そして障子を閉めて自分の部屋に入って行った。赤ん坊の泣き声を聞き、詮索好きな近所の村人は、父の口からよい知らせを聞くまで立ち去ろうとしなかった。どういうわけで胤森家にこんなことが起こったのだろう? なぜ父の期待と希望はかなわなかったのだろう? なぜ仏陀は胤森家の繁栄を拒んだのだろう? 


タカエおばちゃんの話を聞きながら、母が恥と失望で心を乱し、頭から布団をかぶって泣いている姿が思い浮かんだ。期待と希望を裏切られ、父はどれほど苦しんだことだろう。どうして、父のような誇り高き日本男児の身にこのようなことが降りかかったのだろう。しかし、父にはどうすることもできなかったのだ。


母は、生まれた子供をマスヨ(万寿代)と名づけると主張した。それは、「彼女の種は繁栄とともに無限に100万年受け継がれる」という意味だった。その知らせは、紅葉村の祖母トメに伝わった。そのことで誰からも祝福はなかった。


母は、次の子供に後継ぎを期待した。それから2年間は、父の性格と持久力が試された。父は万寿代という名前に誇りを持つようにと、しつけをすることに身を捧げる決心をした。万寿代は、よい男子の子孫を育てられる女性に成長した。タカエおばちゃんは、無言のうちに両親は意思の疎通ができ、次の赤ん坊がおなかに宿ったと私に話した。“沈黙”は侍の精神の特徴である。


母のお腹が大きくなるにつれて、村人たちはまた胤森家を注目した。母は、おなかの中の赤ん坊がよくお腹を蹴るので、男の子だろうと確信していた。母が出産の苦しみに耐えられたのは、もう最初の子供の時と同じ恥をかかなくてもすむと思ったからだ。その“強い蹴り”に母は、障子のついたての後ろから助産婦にこう言った。
「きっと男の子でしょう。」
母の苦しみが強まり、激しい陣痛が続いた。絶叫が静けさを破った時、父は再び恥の中に顔をうずめた。


死ぬほどの苦しみの中、父と母はその子にサツコと名づけた。村人の沈黙が、ひそひそ話と皮肉な笑いに変わった。もう一つの沈黙は、紅葉村にいる祖母トメからも届いた。父の落胆ははかりしれなかった。父は冷たい沈黙の中、再び母を身ごもらせた。しかし、また女の子が生まれ、胤森家に恥をもたらした。母は、父の種が不完全かも知れないと思い始めたことを父に隠した。父の両親の統率力は村人から尊敬され、非の打ち所がないほどの重要な人物と見なされていた。村人たちから成る自治会は、胤森家の孫の誕生を公に認めないと決定した。彼らは、公衆の面前で絞首刑にかけるような無慈悲な宣告を母にしたのだ。祖父母は、欠陥は母にあるのだとし、誇れる息子の種がその力を示すことが出来ると信じていた。


三番目の子供の誕生で、村人たちの嘲笑は頂点に達し、父をあざけり笑いながらこう言った。
「胤森の後継ぎに何が起こったのですか?」
別の者が、軽蔑しながら言った。
コウノトリが間違って配達したのですか? おお、とても残念です、胤森さん。仏陀が耳を貸さなかったに違いありません。おそらく居眠りをしていたか、ずっと遠くに旅をしているのでしょう!」


胤森家は、生きがいも希望もなくしていた。父の名誉も誇りも足元で砕け散った。3人の女の子を持ったことは、“無益な3つの木の人形”であり、仏陀の呪いに他ならない。村人たちは、暇があれば私の両親の話題をしていた。