spi0208152005-05-27


40年の歳月を経て、私はやっと父との本当の約束にたどり着きました。それは、“赦す”ことによって実現する“平和”でした。ヒロシマ被爆者からは“裏切り者”というニュアンスを含んだ声も聞こえてきそうですが、私は戦争に反対しているわけではなく、熱心な“平和活動家”でもありません。もちろん、戦争に賛成もしていません。ただ単に、戦争を現実にあるものとして受け止めているだけです。


この広い宇宙空間において、光と闇は同時に存在するものであり、互いにバランスを保っています。人間の心に闇が影を落としている限り、紛争の起こらない日は一日たりともないでしょう。“赦す”とは、私にとって、痛みに満ちた過去を手放して大いなる力に心を委ね、自らの心を解放することでした。その体験は、私の人生を闇から光へ急激に転換させてくれました。


こうして人生を振り返ってみる時、私には忘れられないものがあります。それは、アメリカに復讐を誓って移住する時、日本から持ってきた綿毛布です。私は、恐怖や苦しみや犠牲の体験を思い出すために、その綿毛布を手放すことはありませんでした。私は未だにそのボロボロになった綿毛布を持っているのです。しかしそれは今や、美しくて暖かい毛布に生まれ変わっています。そして、私を苦い経験や感情から立ち直らせてくれた人、他人の痛みを理解し慈悲の心を持って私を支えてくれた人、私が復讐から赦しへと変化するように手を貸してくれた人など、数え切れないほどのアメリカ人の温かい鼓動と共に、その毛布は私を包んでくれています。


私は内なる変化によって、全く違う考え方ができるようになりました。それは、まるで台風の目の中にいて、自分の周りで何が起きているのかを見ているような感覚です。たとえ真っ暗闇でかすかな光が遠くにしか見えなくても、そこに“希望”があれば、私たちはそこに向かうことができます。暗い夜ほど虹色の星がより光り輝くように、暗ければ暗いほど、嵐が激しければ激しいほど、私たちの希望は明確になります。


私の心のヴィジョンとメッセージは、明解でシンプルです。争いや国家間の反目、民族的な憎しみの感情、文化の違いから来る不和は、暴力による手段や戦争、終りなき復讐の循環を経ずに解決することができるということです。ただ一歩を踏み出せば・・・。それは、人間のために絹糸を差し出して美しい生地を提供してくれる蚕のように、皆が心を合わせて協力し、この地球を平和な場所にすることです。


もしあのまま復讐と報復を追求し続けていたなら、私はいったいどうなっていただろう、時々そんなことを考えます。そして、もし世界が赦しと心の平和を見出さず、今の道を歩み続けていくなら、この世界はどうなってしまうのだろうかとも考えるのです。


最後に、私が過去に行った和解のための試みをあげておきます。


(1)冬のロシアにおける医療と食料の救済キャンペーンに積極的に関わった。サハリン島の大都市を訪れた時、痛ましい戦争の傷跡を見つめた。その多くは日本兵によるものだった。
(2)原爆の開発機関であるローレンス・リバーモア国立研究所での“軍事から平和への転換”プロジェクトの一環である盲人用誘導システム開発の研究に関わった。
(3)真珠湾攻撃生存者の会の地方支部に謝罪を申し入れ、“チルドレン・オブ・ザ・マンハッタン・プロジェクト”で働いた。
(4)叶わなかったが、私と同じ町に住む“原爆の父”グレン・T・シーボーグ博士と和解したく面会を試みた。博士は原爆の原料となるプルトニウムを発見し、1999年に亡くなった。
(5)原爆の製造に関与した科学者の一人、ロバート・クリスティ博士とは会談が実現し、抱擁を交わした。
(6)ヒロシマに原爆を投下したパイロットのポール・ティベット将軍には2000年の春ニューメキシコ州アルバカーキで個人的に連絡を取ったが、会談は叶わなかった。
(7)1994年7月24日、連邦議会の委員会で証言した。
(8)1995年、ヒロシマ50周年で放映された、ショータイム・ネットワークス製作のドキュメンタリー映画ヒロシマ」にコンサルタントとして尽力した。
(9)2004年8月のヒロシマ60周年を前に、イギリスのBBCテレビがドキュメンタリーの為の取材に訪れた。
(10)2004年10月18日、ヨーロッパで放送されたワン・ワールド・プロダクション製作の番組でイスラエルのラマト・ハシャロンのインタビューを受けた。
(11)2005年2月28日、原爆を開発したロバート・オッペンハイマー博士に関連して、ヒストリーチャンネルからインタビューを受けた。2005年10月に放送予定。
(12)2005年5月27日(現地時間で明日)、TBS筑紫哲也ニュース23、戦後60周年特別取材班からインタビューを受ける予定。


こうした試みが、この世界を世界中の子供たちが手を取り合って平和に暮らせる場所にするためになると私は信じています。これらの活動は、私の命を消耗させているかもしれませんが、父の教えやヒロシマでなくなったすべての人々に対して誠実であるために、これからも一命を捧げていくつもりです。どうぞ皆さんも自分が誰であるかを忘れず、自分の心の光に従って、一歩一歩ご自分の道を歩んでいって下さい。共に歩む仲間として、いつかどこかでお会いできる日を楽しみにしています。


最後まで読んでくれて、ありがとう。


胤森貴士トーマス