私達が直面している問題は、すべての招待客を恥ずかしくない披露宴に招くことができるほどの十分なお金を持っていないということだった。
「私達に必要なことは、招待客に私達を紹介する機会を提供することよ。ただコーヒーやお茶やウェディングケーキがあれば私は十分よ。」
しかし、私はコーヒーやお茶よりも彼女に求めているものがあった。私達はそれぞれ違う食事でもてなすことに挑戦した。私達が誓いを交換するまで、この土曜の夜から一週間しかなかった。


「こんな夜に誰だ?」電話が鳴り続けていた。私は自分の目をこすりながら、壁掛け時計を見た。針は11時半を指していた。
「こんばんは、胤森さん?」甲高い声が私の耳を突き刺した。
「ええ、そうですけど。」私の声は少しイライラしていた。
「こんな時間に申し訳ありません。今、出張から帰ってきて、私の友人からあなたの結婚式のことを知ったのです。友人は、私があなたのために披露宴を喜んで引き受けるのなら、私を手伝ってくれると。」
「そうですか。私が披露宴の料理を引き受けてくれる人を探していることは本当ですが、なぜこんな時間に電話してこられたのですか?」
「胤森さん、もしあなたが私に任せてくれるなら、明日の朝教会でお会いましょう。その時にすべてをお話しますから。」
私は彼女が誰なのかも、私がどこに向かおうとしているかもわからなかった。


「あの・・胤森さん? そう、そう! あなた胤森さんでしょう?」
私が振り返ると、かつて美しく優雅だったことを思わせる60代の女性がいた。
「どなたですか?」
「あら、ごめんなさい。私はスー・オーソン。私の家族は配膳のサービスを北ミネアポリスに25年間もしているのよ。」
教会の中に着席した時、私はおそるおそる彼女の目を見た。(私達が配膳に全部で275ドルの少ない金額しか持っていないことを知っているのだろうか。)
「私の2人の従業員が、時間と骨を折ってくれますよ。もしあなたが持っている全ての費用を充ててくれるのであれば、私達はあなた方の披露宴を優雅でオシャレなものにして、あなた方をもっと喜ばせるわ。すべての招待客にあふれるほどの食事を出すほかに、私達が最高の思い出にしてあげますよ。」
「しかし、オーソンさん、どうして損までしてそこまでしてくれるのですか?」
「胤森さん、そのことについては私に任せて。その上で握手ができるかしら?」
私は彼女の寛大さに圧倒された。しかし彼女がなぜいつ私を知ったのかは見当がつかない。私達を助けようと動機になった理由を彼女が話し始めると、私の心は感謝の気持ちでいっぱいになった。


それはまだ彼女の息子が、東京近郊の横田基地に駐在していた1953年の秋の時だった。彼と仲間2人は、東京から離れた田舎で週末を過ごすことにした。彼らはある山に登りに行った。キラキラ光る絵のような色とりどりの楓の葉が風で踊っていたそうだ。その時突然、彼は足場を失い渓谷に落ちた。彼の仲間は彼を山の麓に運び、ある農家に連れていった。農家の人は英語でやりとりができなかったが、親切で哀れみ深い心をすべてにおいて感じさせた。彼等はすぐに地元の医者を呼び、すりむけた肘や膝、打ち身や骨折した箇所、そして傷ついた頭部を看護してくれた。2日休んだ後、彼と仲間は無事に基地に戻ることができたそうだ。


「私は胤森さんについては知らないわ。でも、全く知らない息子の世話をしてくれた日本人一家は本当に親切だった。最初、彼らは息子を敵だと思ったに違いないわ。言葉を通してコミュニケーションはできなかったけれど、彼らは心や魂で息子とコミュニケーションをしたのよ。息子はアメリカに戻ってからは、その家族と連絡をとり続けることができなくなった。でも、彼は哀れみ深い看護を決して忘れてはいないわ。」
彼女の目は涙でキラキラ光っていた。
「胤森さん、彼らと同じ国の人を、結婚式の夜に手助けすることで、息子にしてくれたことへの感謝の心を恩返しする機会を神様から頂いたと感じたのよ。」
「おお、オーソンさん、何と言ったらいいのか・・・。」
「胤森さん!」彼女は私の手をとった。
「彼らは他人に心をあげる方法を教えてくれた。時には全くの見知らぬ人に対してもね。私達の心をあなたに受け入れてほしい。そこにはお金では買えないものがある!」
私は呆然となった。オーソンさんの寛大さを神に感謝した。