私の大学最後の1年間、いや、残りの人生で重要な役割を果たす人物がいた。その女性は、信仰と熱意を試され鍛えられた日本人の若い男である私の将来を決定づけた。これが、中国系アメリカ人2世で、アリゾナ州ツーソン市からやって来た東洋人の女性との初めての出会いだった。彼女の名前はジョイス。彼女は台湾へ伝道する宣教師として人生を捧げる決心をしていた。


1962年9月4日の午後、私は樫の木の下で彼女に会った。珍しく暖かい陽光が色とりどりの木の葉を反射していた。木の葉は風でゆらゆらと揺れ、ミネソタに初秋が来たことを示していた。人目惚れだったのだろうか?彼女は神がお送りくださった私の祈りへの答えなのだろうかと思った。私は2年間に渡って、東洋人に会わせて下さいますようにと祈っていたからだ。もちろん、私は日本人の心を持つ日本人女性という風にもっと詳しく祈るべきだった。しかし、私は特別な女性を見つけ出すのに神に多大なご苦労をおかけしたくはなかった。それで、私は神に願いを聞き届けて頂き易いように、少なくとも妻になる女性は大学にやってきた最初の東洋人女性でありますように、と望みを低くしたのだった。
「“リトル・ディッパー”にアイスクリームを食べに行きませんか?僕がおごりますよ。」
「いいえ、ダメだわ。アイスクリームを買うお金ならありますもの。」
「いやいや、僕はそんなことを言っているのではありません。誰かとアイスクリームを食べるとすごくおいしいのですよ。僕はそれをあなたと分かち合いたいだけなのです。」
何度か説得を試みて、ようやく彼女は私の提案を渋々受け入れた。
「2つではなくて、1つにして下さい。」
彼女は叫んだ。(アイスクリームをおごってやるというのに、彼女はなぜ愛想良く受けられないのだろうか?)樫の木の下に座って私はつぶやいた。私にとって、ちっとも経済的な負担ではなかった。もし彼女が私の手足を欲しいと言ったとしても、私は差し出したに違いなかった。彼女は私の心を読んでいた。
「私がなぜこの大学に来たのか、そして、なぜアイスクリームを食べるのが馬鹿げていると思うのかをお話します。私は本当にそれが嫌なのです。特にすべてのお金が授業料に当てられている状況ではね。」
私は彼女の気分を害したようだった。
「トム、溶けてしまう前にアイスクリームを食べてしまいなさいよ。」
私は素早く食べ終わった。口の周りを舐めて残った味を楽しんだ。彼女と再びアイスクリームを食べられるかどうか、わからなかった。それから、彼女はゆっくりと慎重に心を開いて心の内をさらけ出してくれた。そして、アリゾナ大学でエンジニアの修士号を取得した3人の兄に会った話をした。
「私の家族は、私が宣教師になるために人生を捧げ、台湾に行くのを認めてくれないのです。私の両親は中国本土からやってきました。両親は私にアリゾナ大学へ進学するよう強く勧め、学費を全額出すとまで言い出したのです。」彼女は情熱的に続けた。
 「トム、私が宣教師になるという“使命”に従わなければならないことが理解できますか? 私は両親と兄に背いて、高いお金を払って、このバプテスト・バイブル・カレッジにやってきたのです。私には、これは生きるか死ぬかの問題なのです。私の将来は、学費を自分で払うという真剣な気持ちにかかっているのです。私は10セントも両親からもらっていません。もし両親が何千ドルをあっさりと送ってきたとしても、私は決して受け取らないつもりです。」