ジョイスは、出産が今日あたりだと感じ、私がどこにいるかすぐわかるように、教会秘書に行き先をちゃんと知らせておくようにと言っていた。夕方、教会秘書のマルタが、教会仲間の1人を訪ねていた私を見つけ出した。しかし、その時、妻はすでに地元の病院に運ばれていた。1969年10月3日のことだった。
「胤森さん、30分前に元気な男の子が生まれましたよ。奥さまは回復室でゆっくり休んでおられます。」
ナースステーションの看護婦からの力強い返事だった。
「男の子か!」私の顔は輝いた。
「見て、あなた。男の子よ!」
私は天を見上げた。息子を家に連れて帰ってきた時、私たちは息子をソファに置き、そばにひざまずいた。私たちはまるでいけにえの羊を捧げるように、息子を神に捧げ、初めての息子のために祈りを捧げた。そして息子をジョナサンと名付けた。「神の真の友」に出てくるジョナサンのように育ってほしいという願いを込めて。


神よ、最後に彼の長い旅が終わりに近づき、旅の道程を振り返る時
どれだけつまずき曲がった道であり、そして孤独な旅であったけれども
決して一人ではなかったことを理解することができますように

1969年10月3日  私たちの長男ジョナサンの両親より


ミネソタ州で9回の冬を過ごした後なので、インディアナ州の厳しい気候を過ごす準備もできたと感じていたが、いったい何が悪かったのだろうか? 私が学んだことは、冷たい猛吹雪のような寒々とした天候よりも過酷な学びだった。2月の最初の週、町のほとんどすべての幹線道路が吹雪のために寸断された。私たちの質素な住まいは、3m×11m程の広さの、ぼろぼろになったトレーラー(移動住宅)だった。教会の上層部の人から鍵を受け取る時に言われたことが忘れられない。
「教会がこれ以上赤字にならないように見張るのが私の務めだ。あなた方が喜んで犠牲になることの中に、私たちの生きる意味があると学んでくれることを期待している。」
私は、彼が牧師は質素に生きることを学ばなければならないと決めつけていることをひどく嫌っていた。自分を哀れんでか、それとも激しい怒りのためか、涙が頬をつたい、乾いた土に落ちていった。


トレーラーの床を守るための補強用の横板もなく、氷のような空気がトレーラーを包み、室内の温度はツンドラにある冷凍庫のようだった。トレーラーの中に掛けていた布おむつから垂れた水は氷柱になった。食料は、ついに(約4.5キロの米と2,3個の缶詰だけになった。もちろん、私たちの主な心配事は、息子の安全と健康であった。少しでも寒さをしのごうと、古新聞をすべての窓に何層もテープで張り、古いタオルをドアの下に置いた。しかし、トレーラーは障子のようにガタガタ鳴り、小さな石油ヒーター1つでは、吹きすさぶ風の中、トレーラーを暖め続けることはできなかった。ある時、私は大きなバタ−ンという音を聞いた。何かがバチンと鳴り、凍った地面に落ちた。夜中の2時45分だった。ヒーターの枠に気づいたので、身震いしながら外に出てみると、オイルタンクが地面に落ちているのを見つけた。


朝早く、私は信頼できる教会仲間の1人であるエド・マネスに助けを求めて電話をかけた。彼の妻、アンが、2,3時間後に素晴らしい知らせをくれた。
「トム牧師、たくさんの教会の人に電話し、グリーンスタンプ(クーポン券のようなもの)を集めました。すべてあなたがたが息子さんの部屋に小さなヒーターを入れるためですよ。」
私は我を忘れるほど喜んだ。午前中にはヒーターを持って家に帰った。妻と一緒に息子のそばにひざまずき、アンとグリーンスタンプをくれた友人たちに感謝しながら祈った。彼らの寛大な愛とやさしい心遣いのおかげで、息子の部屋から新聞紙をはがすことができた。


しかし、喜びも束の間だった。それは夕食後の皿洗いがちょうど終わった頃だった。
「あなた、外を見て!」
妻の声に何か恐ろしいものを感じた。教会の上層部のチャールズ・ワーレイがこちらへやって来た。私はこみ上げてくる緊張を静めようとしたが、抑えることはできなかった。彼はまるでそれを知っているかのように、息子の部屋の小さな窓が凍っていないのに気づいた。
「トレーラーの中を調べてもいいかね?」
彼はそう言うと、息子の部屋へ入って行き、ヒーターを壁からぐいっと引っ張り出した。
「トム牧師、これはどういうことだ?最初の日に、電気代はとても高いと言ったはずだが。私はインディアナのじめじめした夏の暑さでさえ、扇風機を使うことを許さなかった。公共料金を払っているのは誰だか忘れたのかね?」
「チャールズ!」妻が彼をつかまえ、頼み込んだ。
「どうか、持っていかないで・・・。息子を暖めるのに必要なんです。」
彼は妻を無視し、まるで戦争の勝利者でもあるかのようにヒーターを腕に抱え、トレーラーから出て行った。チャールズが冷たく暗いインディアナの夜に消えていった時、妻は追いかけていきそうな私を引き止めた。私は泣くこともできなかった。4ヶ月の小さな息子は、小さなベッドに横になり、再び新聞紙にくるまれたのだった。


残念ながらこのことがきっかけとなり、月日が経つにつれお互いの誤解が大きな溝を作っていった。こうして私は、大きな夢と希望であった最初の教会から追い出されることになった。